【ラグリパWest】チームのため、母のため。松井祥寛 [近大FWコーチ]
松井は今年12月で44歳になる。競技は東生野中で始めた。大阪桐蔭では歴史を作る。母校初の花園出場は高3時。75回大会(1995年度)では3回戦に進出する。伏見工(現・京都工学院)に17−31。現在は出場回数を14に伸ばし、優勝と準優勝を記録している。
近大への大阪桐蔭からの入学も初めてだった。今年のチームには、副将でプロップの紙森陽太ら6人のOBがいるが、この時も道を作った。体の強さで1年から公式戦出場。2年と4年時には関西リーグ2位。2年時には近大初の選手権出場にも貢献した。34回大会は初戦で帝京に21−45で敗れている。
大学では生涯の伴侶を見つける。妻の恵は同級生マネージャーだった。卒業後、鍼灸師の資格を取り、現在は大阪・本町で「MEGU ACUPUNCTURE STUDIO」を経営する。2人の間には小1の娘、十逢(とあ)がいる。
神戸では入社4年目の2003年度、初代トップリーグ王者を経験した。
「今、神戸のラグビーが、こういうことやったんや、ってわかるようになりました」
スペースを見つける、まっすぐに走る、そこに放る…。選手や指導者として平尾誠二の真髄を教える側に回って理解する。
「神戸ではラグビーの本質を教えてもらいました。今のパスラグビーも基本は同じ。ただ、当時は感覚でやっていました」
職人気質。マニュアルはない。見て、覚えるだけ。体得するのは難しい。その時代を松井は生きた。だからこそ、コーチングの重要性がわかる。パス練習では細かく、捕球者の手の位置から教えている。現役時代は182センチ、95キロ。当時からは想像できないほどその体はスリムになった。
2008年の現役引退後は、大阪桐蔭のコーチや神戸の分析を経て、2014年にコーチとして母校に帰る。肩書はヘッドやフォワードチーフなど変わったが、一貫して現場にいる。
近大では8年目。この夏、母・明栄(あきえ)をがんで亡くす。67歳だった。
「同志社戦は四十九日にあたります」
関西リーグの2戦目は10月9日、滋賀・布引である。相手は天理と並ぶ優勝候補だ。
母は父・泰男とうどん屋を切り盛りして、長男の自分を含め、4兄弟を育て上げた。
「忙しすぎて、試合を見に来てもらったという記憶がありません。花園に出た時も来られませんでした。母は自分が結果を出せないまま逝ってしまいました」
チームだけでなく、個人としても勝たなければならない理由ができる。
「しっかりとした報告をしたい、という思いはあります」
亡き母の魂を感じながら過ごす2021年のシーズン。これまで以上に全身全霊で、青いジャージーと向き合っていく。