【ラグリパWest】新しい風。鬼束竜太 [立命館大新ヘッドコーチ]
笑うと目じりが大きく下がる。学生時代と変わらない。
鬼束(おにつか)竜太は49歳になる。今月15日で人生ほぼ半世紀に来た。
この8月、大学のラグビーシーンに降り立つ。立命館でヘッドコーチになる。監督の機能を司り、母校の同志社を倒す役割を背負う。
「今までのやり方を変えるつもりはありません。継承してやります。目標は上位と戦えるチームにする、としか今は言えません」
そのチームの文化を尊重する。そして大風呂敷は広げない。
経験は豊富だ。2009年から指導畑一筋で12年。宗像サニックスで現役引退直後、コーチに直った。最後はアシスタントコーチ。2011年のみ同志社を見た。
所属チームの規模縮小報道が流れたのは今年4月、トップリーグの開催中だった。
「上の方から、ここはいったん引いてくれ、と言われました」
指導を続けたい希望はあった。
立命館からは複数の人をつないでアプローチがある。その中には藤井雄一郎もいた。宗像サニックスで鬼束は監督として仕えた。今は日本代表のディレクターだ。
立命館の監督だった中林正一は自身の希望で肩書をチームコーディネーターに変える。出身のFWの強化により注力する。
「マンネリを変えたい気持ちはわかります」
鬼束は理解を示す。6学年下の中林は監督として10年を過ごした。
就任が遅くなったのは、企業と大学の間で条件面を調整する時間が必要だったため。サニックスの社員として出向する。
鬼束はスクラムハーフ出身。現役時代のサイズは168センチ、73キロ。パス、ラン、キックとすべてに優れるオールラウンダーだった。当時、このポジションはパスのみで評価が決まる中、万能選手の先駆けを担う。
「今はみんな教えてくれます。ネットもある。でも当時はそんなことはありません。キックはどう蹴れば、どう転がるかを常に考えていました。今でも、距離はともかく、精度には自信があります」
東福岡で過ごした高校時代。監督だった谷崎重幸(現・新潟食糧農業大監督)にしごかれた。
「円かきをやりました」
部員が大きな円を作り、それに沿い一人ひとりにパスを放る。時計回りなら、次は逆だ。
「腰が立たなくなります」
その投げ込みは最低でも200球近くはいく。
高3時には70回全国大会(1990年度)に出場。2回戦で島本に9−10と惜敗した。ナンバーエイトの同級生は現監督の藤田雄一郎。歴代4位、6回の優勝を誇る同校は31回の出場記録を持つが、その4回目にあたる。