コラム 2021.09.10
【ラグリパWest】新しい風。鬼束竜太 [立命館大新ヘッドコーチ]

【ラグリパWest】新しい風。鬼束竜太 [立命館大新ヘッドコーチ]

[ 鎮 勝也 ]



 東福岡では名スクラムハーフの系譜に連なる。谷崎はFWとBKのつなぎ役として、運動神経のいい選手に背番号9をつけさせる。5つ上には村田亙(現・専大監督)、下の入れ替わりに月田伸一(現・三重パールズヘッドコーチ)。鬼束を含め日本代表経験者。キャップを村田は41、月田は9を持つ。

 高校入学までは草ヶ江ヤングラガーズにいた。3つ上の兄・吾郎の影響で5歳から競技を始めた。兄はスタンドオフとして、熊本にあったニコニコドーなどでプレーした。

 同志社では3年時、「イケイケラグビー」を推し進めた。PGを狙わず、トライを獲りに行く。超攻撃的にするため、腰痛持ちだったプロップの中道紀和をフランカーに下げた。
「おもしろかったです」
 30回目の大学選手権は4強敗退。優勝する明治に17−27。ただ、10点差は大会を振り返れば、もっとも競った試合になる。

 この年、日本代表にも選ばれる。10月のウェールズ遠征に参加した。
「堀越さんと村田さんがケガで辞退しました」
 堀越正巳(現・立正大監督)、村田の穴を永友洋司(現キヤノンGM)と埋める。
「ケガでないと交代できない時代でした」
 5−55のテストマッチはリザーブ。そのため、キャップはない。

 卒業後はワールドに入った。最高位は52回目の全国社会人大会(=トップリーグの前身、1999年度)での準優勝。神戸製鋼に26−35だった。宗像サニックスには2004年に移籍。選手としての晩年を地元で過ごす。

 立命館へは単身で来た。ひとり娘の杏菜は今年4月、名門の福岡高校に合格。ラグビー部のマネージャーになった。全国大会の出場回数37は東福岡を6上回り県内トップ。その勉学水準の高さと歴史の長さで、修猷館、筑紫丘とともに「御三家」と称される。

 家族とは距離的に遠くなったが、立命館と活動拠点の滋賀・草津とは縁がある。副部長の広野秀之はワールドの先輩でもある。
「かなり動いて下さったと聞いています」
 この地では19年前、アキレス腱を切って、手術をした。担当医の橘真一は現チームドクター。戦略担当のコーチは大西将太郎だ。
「見ている部分が違うので、ありがたい」
 同志社、ワールドの後輩の存在は心強い。

 立命館の関西リーグ開幕戦は9月19日。関西学院と激突する。指導を始めた8月は数人だがコロナ罹患者が出て、10日ほど練習ができなかった。長野・志賀高原での夏合宿も実質2日で打ち切った。

 そのよくない流れでも、焦りはない。
「好きなラグビーに携われている。それは幸せなことです。売り上げに追われたり、上司や部下がどうこう、ということはありません」

 立命館は3年前の2位から、6位、5位とBクラスが続く。その指導力で、黄紺ジャージーを一転上昇に変えていきたい。

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