海外 2021.09.07

畠山健介のボストン挑戦記[第2回:人と街とスポーツと]

スポーツ先進国のアメリカ合衆国で発展を続けるメジャーリーグ・ラグビー(MLR)。2020年にマサチューセッツ州ボストンを本拠地とするニューイングランド・フリージャックスに入団した畠山健介は現地で何を感じ、何を得たのか。そしてこれからどこに進み、何を見せてくれるのか。全3回の連載で畠山のビジョンをお見せしよう。

[ 編集部 ]
畠山健介のボストン挑戦記[第2回:人と街とスポーツと]
アメリカでの体験と自身の考えを語る畠山健介(写真◎スクリーンショット)

 スポーツは誰のものだろう。
 アメリカに住んで、畠山健介(MLRニューイングランド・フリージャックス/プロップ)はそう考えるようになった。いや、それを知るために海を渡った。
 答のすべてがそこにあるわけではないが、アメリカの人々とスポーツの関係性は、ボストンで2年間暮らしているうちに、自然と、強く伝わってきた。

 畠山自身、長くラグビーをプレーしてきた。
 強豪校(仙台育英高校、早稲田大学)、トップチーム(サントリーサンゴリアス)でプレーした日本での生活を思い出す。学校のラグビー部は学校、OBたちの意見も強い。社会人になってからは、社員選手としてプレーしたこともある。

 ラグビーが楽しく、自分のためにプレーしていたのは事実だけど、ラグビーチームそのものは、学校の名誉や会社の知名度を上げるという側面も持っていたかもしれない。
 日本ではスポーツというと、教育的な意義を求めることも多い。しかしアメリカでは、エンターテインメントそのもの。楽しみ方や意義は、人それぞれだ。

 ボストンに住んで思うのは、「スポーツは、その街の人のもの」ということだ。
 例えばMLBのレッドソックスがホームゲームを開催する日。当日はスタジアムの何キロも手前からユニフォームを着た人たちがいて、街角のパブは試合の何時間も前から賑わう。
 スタンドで周囲を見渡せば老若男女がいる。そこは特別な場所ではあるけれど、間違いなく人々の生活圏でもある。

 そんなお祭りのような時間が、年間80日ほど繰り返されるのだ。日常と言っていい。
 挨拶がレッドソックスの試合結果から始まることもある。
「アメリカは、スポーツが主語になる国です」

 プロバスケットボールのNBAは2021-2022年シーズンに75周年を迎える。ボストン・セルティックスは創設以来存在する数少ないチームのひとつだ(他にニューヨーク・ニックス、ゴールデンステイト・ウォリアーズ=当初はフィラデルフィア・ウォリアーズ)。

 記念すべきシーズンへ向け、セルティックスはクラシックエディションのユニフォームを用意した。
 そのユニフォームの一部には、同チームの伝説的指導者、レッド・アワーバック氏の言葉、『THE BOSTON CELTICS ARE NOT A BASKETBALL TEAM, THEY’RE A WAY OF LIFE.』が刻まれている。

「その意味をどう受け取るかは人それぞれですが、セルティックスが単なるバスケットボールのチームではなく、生き方であり、人生の一部というのは、ボストンの人たちの共通認識だと思います」

 アメリカのプロスポーツチームのオーナーたちは、その街に暮らす人々のそういった気持ちをよく理解している。
 だからこそチームをサポートする価値があると考えているし、ファンが笑顔になることを積極的に仕掛ける。

 ちなみに、畠山が2シーズンプレーしたニューイングランド・フリージャックスのエンブレムにはランタン(昔の携帯用照明器具)が描かれている。
 そのランタンは、ボストンの歴史に由来しているものだ。

 同地に住む人たちは、街が、イギリス軍との戦いを経て自由を得た歴史的背景を知っている。
 ボストン市内にあるオールドノース教会の尖塔に掲げられたランタンは、敵軍の奇襲を知らせ、人々を危機から救ったという。
 フリージャックスのチーム名とエンブレムは、約250年前の出来事を後世に伝えるものでもあるのだ。

 そんな歴史的背景を表したエンブレムを胸に戦うチームだから、地元のファンはシンパシーを感じる。
 ボストンだけが特別なわけでなく、アメリカの各地、各スポーツに、同様の関係性がある。居心地のいい空気が、アメリカ全土にある。

PICK UP