【ラグリパWest】リーグワンへの道。東将吾 [摂南大3年生/CTB]
ただ、2人は学校を去る。東が1年の時に大八木が、2年の時は小澤だった。小澤は公立中学に教えの場を変える。3年時、部員は15人を割り、県立の西宮南と鳴尾と合同チームを組んだ。最後となる98回目の花園予選は初戦敗退。兵庫工に0−56だった。
その芦屋学園の指導を1年間、パートタイムで引き受けたのは泉光太郎。県内最強の報徳学園のコーチである。監督の西條裕朗が窮状を聞き、義侠心で泉を派遣した。
「東は最初、ラグビーをあまり教えてもらっていない感じでした。いいな、と思ったのは痛いことやしんどいことがわかり始めてもそこを避けなかった。この子は伸びる、Aリーグでやらせてあげたい、そう思いました」
すぐに内部に連絡を取る。泉は摂南大でコーチの経験があり、3学年上の内部とは同僚だった。スポーツ推薦の枠が用意される。その入学にふさわしく、東は少人数の無名校出身ながら、1年から公式戦出場を果たした。
摂南大の創部は1976年(昭和51)。創学の翌年である。10年後、河瀬泰治が赴任。強化が始まる。現役時代はナンバーエイトとして日本代表キャップ10を得る。チームはこれまで大学選手権に2回出場。最高は2回戦進出。初出場の45回大会(2008年度)で、天理を47−24で降し、帝京に7−55で敗れた。
河瀬は総監督になり、東芝の後輩でもある瀬川にチームを託す。瀬川は就任2年目。関西リーグは着任前の7位から6位と順位を上げる。今年の春季トーナメントは6位。順位決定戦で近大に26−66と差をつけられた。
この夏、雪辱に燃え、さらにチームを鍛え上げるつもりも、誤算が生じる。部内でコロナ罹患者が出て、8月16日から2週間、練習は停止した。夏合宿も中止された。
練習再開は8月30日。自宅生の東は感染することなく合流したが、関西リーグの初戦までには20日しかない。9月18日、優勝候補の一角の京産大と激突する。
調整不足という不利を承知で東は戦う。この秋ですべてが決まるからだ。リーグワン級のチームは基本的に3年時に採用を決める。青田買いはこの世界でも進んでいる。
「瀬川さんにも言われました。上でやりたいなら今年頑張れ、4年では遅い、と」
攻守の起点となり、耳目を集めたい。
河瀬には実情に即した思いがある。
「強豪校にはうまい選手を育てる役目がある。ウチは埋もれている選手を育てていかないと」
今、与えられているつとめを果たせば、東には獲得の申し出が来る。そして、有望な入学者が増える。強豪校のステージに上がる。
組織と自分の将来のため、東はこの秋、リーグ戦に立ち向かう。