女子 2021.08.11

「私たちがやりたかったのは、これなんだよな」。中村知春が見た東京五輪

[ 編集部 ]
「私たちがやりたかったのは、これなんだよな」。中村知春が見た東京五輪
バックアップメンバーとして五輪直前まで仲間たちと過ごした。(撮影/松本かおり)



 東京オリンピックが終わった。
 ラグビー(セブンズ)は男子が参加12チーム中11位で、女子は12位。期待された結果は残せなかった。

 ラグビー同様、大きな期待を受けながら、思うような結果を残せなかった競技の日本代表チーム、選手がいた。
 一方で、世界を驚かせ、この国を熱狂させたものもあった。そのスポーツを目指す選手たちは、今後増えるだろう。

 日本の女子ラグビーを長く牽引してきた中村知春は、五輪メンバーの選考から漏れ、今回の五輪を外から見つめることになった。
 リオ五輪を経験し、今大会も最後の最後までチームとともに過ごしていた。だから、他競技の選手たちが活躍し、脚光を浴びる光景を見て「罪深いことをしてしまったな」と呟いた。

(他国との体格差は歴然も、より動ける)ガードの選手を集め、『日本のバスケ』を実践。銀メダルを獲得した女子バスケットボール代表の躍進がまぶしい。
 若者たちが躍動したスケートボードは、今後新しい愛好者を多く集めることになるだろう。

 中村は、「私たちがやりたかったのはこれなんだよな」と思った。
 国内の人たちに見てもらう機会なんて滅多にないサクラセブンズの姿を見てもらう。
 日本の小さな選手たちが、自分たちの強みを出して戦い、強豪チームを倒す。
 そんな姿が観る者の琴線に触れ、「私もやりたい」、「応援したい」という人を増やしたいと考えてきた。

 しかし、夢は叶わなかった。
 日本の女子ラグビーをアピールする最大のチャンスを逃したことが、「罪深い」の言葉になった。
 大会に出場した選手たちは全力で戦ってくれた。ただ、この10年間、リーダーとして女子ラグビーのことを考え続けてきたから当事者として自分に矢印を向ける。

 女子ラグビーの価値を高めたい。
 中村は一人のアスリート、代表チームのリーダーとして、常にレベルアップすることに注力しながらも、「価値」を忘れることはなかった。
 金メダル宣言をして臨んだリオ五輪で惨敗し、見つめ直した。
「五輪に出ること、メダルを取ることがラグビーをプレーする目的になってはいけない。そう思いました」

 五輪でメダルを獲得し、脚光を浴びる。人気が出る。競技人口が増える。
 もちろん、そうなることを願っているのだが、それはあくまで、目の前のことに全力を尽くす、その競技を愛すことを積み重ねた結果。
 特にこの5年は、五輪出場、メダル獲得がプレーの目的ではないと自分に言い聞かせてきたことで、判断を誤ることなく生きてこられたと思っている。

 今五輪を見ていて思った。
「陸上のレースで他の選手と足がもつれ、転んでしまったシーンがありました。そのふたりが、かばい合い、笑顔で最後まで走り切った。リレーでバトンに失敗したあとの選手たちの振る舞い。サッカーでの久保選手の涙。一つひとつのシーンが、その競技の価値を上げていたと思う」
 そこにも、自分が思ってきた光景があった。

 勝利の重さと価値。それらをどう追い求めるのが正解なのか、いまだ自分の中で整理はついていない。
 ただ、女子ラグビーの価値を高めることを常に自身の軸として持つことは、勝利の追求とラグビーとの向き合い方を両輪にする生き方を支えてくれている。
 これからも、そこはぶらさず歩む。

 目指す道の途中も含め、いろんなことを学んだ五輪だった。
 辛い時に人間の本質が出る。
 自分、そして多くのアスリートのふるまいを見て、あらためてそう思った。

 今回、サクラセブンズのメンバー選考から漏れた。
 6月19日の五輪内定選手発表時に自分の名前はなく、一時はチームから離れた。しかし、6月30日にバックアップメンバーとして呼び戻された。

 そこから五輪まで、必死に戦いながらも胸中は揺れた。
 チャンスはまだある。
 いや、最初に選ばれなかったのだから可能性は低いよ。
 それなら、なんで必死にやってんだ?

「(五輪前の数週間)いろんなことを考える自分がいました。(精神的に)辛いな、と思うと悪い中村がヒュッとやって来て、いろんなことを囁くんです。そんなとき、考えました。いまの自分の立場で、(女子ラグビーの)価値を上げられる言動、判断ってなんだろう、と」

 日頃から自分の中にある判断基準があったから、中村知春は最後までリーダーシップを出せた。
 笑顔でみんなを大舞台に送り出せた。
 仲間たちのパフォーマンスを、きちんと見つめることができた。

PICK UP