期待に育てられた198センチ、宇佐美和彦(キヤノン)。恩返しは将来、指導者として。
申し訳ない。情けない。
繰り返し、そう言った。
日本代表キャップを10も持っているのに、だ。
最近の健康診断で身長は1センチ伸びて、198センチ。日本ラグビーの期待を背負っていたことを感じていたから、そんな言葉が出てしまう。
宇佐美和彦が引退を決めた。
キヤノンイーグルスとの契約はもう1年残っていた。しかし、「チームに貢献できないと判断し、決断しました」と話す。
2014年に立命館大から加入し、3シーズンプレーした後、パナソニックに移籍。2シーズンを過ごし、2019年にふたたびイーグルスに戻った。
トップリーグのリーグ戦に出場できたのは、2014年からの3シーズンだけだった。「ケガばかりで、プレーに後悔しているというより、情けなくて」と言う。
「最後は首を痛めて力が入らなくなった。フルコンタクトの練習に加われないままシーズンを終えました」
逆ヘッドのタックルがクセで、脳震盪を繰り返した。左肩でのタックルも練習したが、すべてに右肩で入るから頭部を何度も強打した。
2015年のワールドカップイヤー、23歳で初キャップを得た。
同年と翌年で10キャップのうちの9つを獲得。若くして飛躍したLOが29歳でブーツを脱ぐのだから不完全燃焼ではあるだろう。
初キャップの試合、周囲にはその数か月後に南アフリカを撃破するメンバーたちがいた。
その初テストの試合のことは忘れられない。
試合前に国歌をうたったときに感じた誇りと責任感、高揚感。ピッチに立ったのは4分だけだったが、この国を代表して戦った感激は想像していた以上だった。
愛媛・西条高校出身。花園の芝はU18合同チーム東西対抗戦のメンバーとして踏んだ。
高校からラグビーを始めた。この世界に飛び込むきっかけも、年代別の四国代表、高校日本代表候補に呼ばれる理由も、立派な体躯のお陰だ。
「この体に産んでくれた両親に感謝しています」と話す。
花園のグラウンドに立ったときのふわふわした感覚。
立命館大に進学し、大学選手権で明大に勝った時の興奮(大学4年時)。
日本代表での初テスト時の感激も含め、涙が出そうなほど幸せな瞬間と出会えたのは、ラグビーと出会ったからだ。
「ラグビーは、人生の転機になりました」
誘われて楕円球の世界に足を踏み入れなかったら、なんとなく頭にあった、自分の未来図に沿って生きていたかもしれない。
「西条の市役所で働けたらいいな、と考えていました」
でも、周囲の先生たちがいつも気にかけてくれたから、縁を繋いでくれたから、階段を昇っていけた。
ありがとうございました。
そして、「だから、(期待に応えられず)申し訳ない。情けない」と呟く。
子どもたちの前で話す機会があると、自分の歩んできた道を振り返って言う。
少人数のクラブにいても、なかなか勝てなくても、「環境を嘆いて誰も見ていないだろうと思わず、一生懸命がんばっていたら誰かが見ていてくれる」。
情熱は人に伝わる。そうなったら、一人では叶えられない夢も叶う。
ただ、その先は自分次第ということも知っている。
大学時代に教職課程で学んでいた。残っていた科目も通信教育で学び、現役時代のうちに教員免許を取得。いつになるか分からないが、将来は高校の教員になって教え子たちとともに花園へ行きたい。
妻の実家がある福島・郡山にすでに家を建てた。
「ビッグマン、ファストマンのキャンプに選ばれた選手のリストを見ると福島の高校生もいるので楽しみです」と笑顔が漏れる。
「選手の長所を見つけてあげて、個人練習にとことん付き合ってあげるような指導者になりたい。そのために、学んでおくことはたくさんあると思っています」
今度は、自分が教え子たちに扉を開いてあげる番だ。
ラグビーへ恩返しする時間も、たっぷり残っている。