【ラグリパWest】後輩たちのためにパンをおくる。 坂田輝之[パン工房 ラ・ブーランジュリー・アンファン]
売りもののパンを無償で送り続ける。
ラグビー部の後輩たちの補食として。
もう16年になる。
坂田輝之はパン工房「ラ・ブーランジュリー・アンファン」(La Boulangerie Enfant)のオーナー兼職人である。
高校の3年間、「ワコー」と呼ばれる和歌山工で楕円球を追った。その部への差し入れは多い時は月5回ほどになる。
「僕が高校生の時はいつもお腹を空かせていました。だから差し入れがあるとうれしかった。作ったパンを無駄にしたくない、という思いもあります」
クリっとした黒い瞳は輝きを帯びる。
山下弘晃からは感謝がにじむ。
「ありがたいことです。本来ならお金がかかることですから」
和歌山工で部長や監督を歴任した58歳は今、世話役のような存在だ。
居酒屋「双六屋」の大将もラグビー部に人気の肉吸いを振る舞った。食の同業者として坂田には尊敬の念がある。
「小麦やバターなど材料費が高騰しているこの時代に、ああいう形で寄付を続けているのは、どう考えてもありえません」
坂田は「残りもの」と謙遜するが、パンはぬくもりがあったりする。
店は短く「アンファン」と呼ばれる。
「フランス語で子供です。焼き上げたパンは僕にとって子供みたいなものですから」
その「子供たち」は食パンからフランス、菓子、総菜などパン全体を網羅している。
「種類は100くらいあると思います」
イチ押しは揚げパン。カレーには関西人の好きな牛すじ、あんには十勝産の小豆を使うなど、それぞれ美味しさのこだわりがある。
基本的に1個100円台。消費者側に立つ。
「1日に500から600個くらい作ります」
朝5時前に仕事に入り、夜7時の閉店まで、長い日は15時間近く働き続ける。
店はけやき大通りの三木町(みきまち)の交差点にある。JR和歌山駅から和歌山城に向かう途中。街のシンボルである白亜の築城は1585年。安土桃山時代だった。紀ノ川を使った水攻めを想定したため、天守閣は仰ぎ見る位置に作られた。江戸時代は徳川御三家の紀州藩。8代将軍の吉宗を生んでいる。
店の目印は赤のテント看板。母校のジャージーと同じ色だ。
「僕はこの色が好きなので」
南側に女子中高を持つ和歌山信愛がある。
「生徒さんが買ってくれるかな、と思っていたら、買い食いは禁止でした」
けやき大通りの人の流れにも期待した。
「夏と冬はみんなバスを使うんです」
人生は計算通りに行かない。それでも、今年、開店から21年目に入った。