コラム 2021.05.17
【ラグリパWest】後輩たちのためにパンをおくる。 坂田輝之[パン工房 ラ・ブーランジュリー・アンファン]

【ラグリパWest】後輩たちのためにパンをおくる。 坂田輝之[パン工房 ラ・ブーランジュリー・アンファン]

[ 鎮 勝也 ]



 坂田がラグビーを始めたのは、高校入学後。2学年上の兄・和博がPRとして在籍した。1学年上にはFBだった栢本和哉(かやもと・かずや)がいる。大阪経済大から近鉄に進み、日本代表の下にあたるA代表に選ばれた。

 3年時は長いキックとタテへの強さでSOとしてレギュラーをつかみ、69回全国大会(1989年度)に出場する。
 1回戦は北見北斗に9−8と1点差勝ち。2回戦で優勝候補の花園(京都)と激突する。

「あれっ、という衝撃を受けました。僕の目の横から出たCTBがすごいタックルを決め、相手を退場させました」

 試合は0−36で敗れた。
「でも、あのタックルがなかったら、100点ゲームになっていたと思っています」
 勝者は8強戦で天理に6−6の抽選負け。その天理は決勝で啓光学園(現・常翔啓光)を14−4で破り、優勝している。

 この2回戦進出が、出場24回と県最多を誇る和歌山工にとって、4回ある最高成績のひとつである。
 CTBだった橋本浩行は内装の仕事に就き、開店時にも店内を整えてくれた。

「ラグビーで学んだことは忍耐です」
 海辺の雑賀崎(さいかざき)までの9キロ走がアップ代わり。3、4時間、走り通しだった。コーチだった山下は振り返る。
「一番走らせた学年やと思います」
 その猛練習は商売の芯になっている。

 卒業後は、関西Aリーグに上がる鐘淵化学(現カネカ)で1年半ほどプレー。転職して3年の会社員生活ののち、パンの道に入る。
「したかった仕事でした。中学の時、料理か大工の道に進もうかなあ、と考えていたくらいでしたから」
 個人店からドンクなどの大手まで4店で10年ほど修行を積み、仕込み、焼き方、接客などすべてをマスターした。

 独立して、目に見える支援を続けるOBとして母校への希望を口にする。
「部員が今以上に増えて、県大会では安定して優勝を続けられるようになってほしい」
 坂田の時代はラグビーブームだった。テレビドラマ『スクール★ウオーズ』に影響を受け、部員は100人近くいた。今年の新入生18人。3学年の選手は44人。少子化の時代。昔と比較はできないが、内部競争の生まれる数は、同時に力の象徴でもある。

 助力の気持ちはしぼまない。
「僕がここでお店をやっている限り、差し入れは続けていくつもりです」
 自分を育ててくれた部の強化のため、坂田は今日もパンを焼き、喜捨をする。

■パン工房 ラ・ブーランジュリー・アンファン■
〒640−8105 和歌山市三木町南ノ丁19
電話番号 073−421−3156
営業時間 午前9時〜午後7時
店休日 土、日、祝日。平日も売り切れ次第閉店

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