【ラグリパWest】和菓子にかける。永山宜泉[御菓子司まむ多 店主]
御菓子司「まむ多」は大阪の門真(かどま)にある。街は京阪の沿線として大きくなる。この私鉄は京都に延びている。
屋号は「まむた」。その70年の和菓子事業を永山宜泉が継承する。仲間はみな、この店主を「ギセン」と名前で呼ぶ。
「関わってくれるみんなを幸せにする。それが使命だと思っています」
周りのことを考える。楕円球の精神は商売の中で息づいている。現役時代、日本代表が視野に入っていた。
店の主力商品は楠どら(くすどら)。門真はくすのきが有名で、天然記念物の薫蓋樟(くんがいしょう)にちなんで命名された。焦げ茶色の皮につつまれたつぶ餡は甘くとろける。このどら焼きは150円。桜もちや柏もちなどの生菓子も作っている。
元々あった萱島(かやしま)店を新装オープンさせたのが2019年10月。まむ多の先代は古希を迎え、閉店を考えていた。
「でもね、ほんまは続けたい、という気持ちが話していて伝わってきました」
先代は身内ではないが、和菓子の世界で師匠のようなもの。それなら、と継承を決意する。
ギセンが和菓子の世界に入ったのは、1996年の秋だった。父・宜志家(ぎしいえ)が急逝。立ち上げた絹笠商事の2代目社長に座る。四半世紀が経ち、社長職はすでに弟に譲り、まむ多に全力を注いでいる。
「社長の時は経営をしていました。数字を当て込み、銀行回りや商談をする。でも店長の今はバリバリ現場に入っています」
2店舗目となる大和田店は昨年12月に開店した。絹笠商事が保有する自社ビルの1階で営業している。奥に工場がある。
朝5時から夜8時まで、製造、配達、事務などをこなす。妻・佳代子とともにカウンターに立つこともある。
「この2年ほど、休んでいません」
厳密に言えば、4日休んだ。アキレス腱を切る。昨年11月、岩手・釜石でのOB大会に参加した時である。40歳以上で構成される惑々クラブの一員だった。
「みんなに迷惑をかけて、反省しています」
勤労を重ねても、コロナの影響をまむ多も例外なく受ける。
「売り上げはきついです。ただ、ウチは自家需要が多いので、まだ助かっています」
会社間の進物ではなく、個人消費が軸になる。人の欲求は止めにくい。
元々、この和菓子業界は斜陽だった。
「まず、食べなくなってきました」
西洋菓子に押される。盛況時、府内で1000軒あった和菓子屋は300軒に急減する。原料費の高騰などもある。
「資本主義社会やなあ、って思います」
労多くして利少なければ、人は離れる。
「でもね、和菓子は宮大工と一緒。淘汰はされるが、技術は必ず残ります。夢のないものではないと思っています」
日本人が残る限り、和菓子を食べる習慣はなくならない。