コラム 2021.05.07
【ラグリパWest】和菓子にかける。永山宜泉[御菓子司まむ多 店主]

【ラグリパWest】和菓子にかける。永山宜泉[御菓子司まむ多 店主]

[ 鎮 勝也 ]



 ギセンの心や体の素地を作るラグビーは同志社香里で始めた。中学入学直後である。高校では1年からその強さと運動量で右PRとしてレギュラーになる。その1986年、香里は初めて全国大会に出場する。66回大会は8強戦で天理に13−36で敗れた。

 次の67回大会は3回戦敗退。準優勝する相模台工(現・神奈川総合産業)に3−26だった。ギセンは香里の花園出場4回の内、その半分に関わったことになる。

 大学ではHOに転向。2年から公式戦出場を果たす。同志社はギセンが在学中の4年間、8校制だった大学選手権に出場。4年時の29回大会(1992年度)は初戦で関東学院に10−14と惜敗している。

 社会人はワールドに進んだ。父の訃報があり、在籍は4年。新人の1993年から公式戦出場。2年目、神戸製鋼の連勝記録を71で止める。スコアは25−24。最後となる4年目には、日本代表候補合宿に召集された。しかし、断った。
「行けばよかった、と今は思っています」
 前年、3回目のワールドカップで日本はニュージーランドに17−145と大敗した。代表の価値は著しく下落。所属チーム優先の思いはギセンに限らず強かった。

 ワールドの後輩2人はHOで日本代表になる。2学年下の立川政則(日大)、3学年下の安田昇(専大)はそれぞれキャップを1と2獲得。それを物差しにすれば、桜のジャージーは近いところにあった。

 現役を終えても、ラグビーとの縁は切れない。惑々クラブや同じ昭和45年生まれの45年会の世話役をつとめている。
「今でも応援して、お菓子を買いに来てくれる仲間がいる。ラグビーをやってよかったなあ、と思います」

 宜泉という珍しい名前は永山家のしきたりによる。男子には「宜」をつける。出身は鹿児島の島しょ、沖永良部(おきのえらぶ)。著名な先祖とされるのは弥一郎。明治維新に貢献後、西郷隆盛に従い、西南戦争で幹部として自刃(じじん)する。

 生家の誇りを忘れず、和菓子の世界で、この門真とともに生きていきたい。
「ここに住んでいる人たちと一緒にやりたい。顔を見に来てもらえるのがうれしい。ありがたいことにデパートの催事に誘ってもらえるけれど、辞退しています」
 地域のさらなる発展を願う。ギセンは人生半世紀の今、地にしっかり足をつけている。

 ■まむ多 大和田店■
 住所 〒571−0078 大阪府門真市常磐町2−3(京阪大和田駅下車。線路沿いに大阪方面に戻り、徒歩5分ほど)
 電話番号 072−887−2210
 開店時間 午前9時〜午後7時
 店休日 木曜

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