コラム 2021.03.02

【ラグリパWest】京産魂で生きる 石蔵義浩 [石蔵商店 建材事業部]

[ 鎮 勝也 ]
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【ラグリパWest】京産魂で生きる 石蔵義浩 [石蔵商店 建材事業部]
京都産業大ラグビー部での学びをベースにビジネスに取り組む石蔵義浩さん。福岡の名門校、筑紫丘のOBでもある



 12年ぶりに朝練を始め、四季が巡る。
「調子、めちゃめちゃいいですよ」
 石蔵義浩の目は細くなる。成長ホルモンの増産は体と心を整える。今年37歳になる。

 京都産業大のラグビー部の頃は日課だった。まだ明けやらぬ中でのトレーニングは当時、この大学の強みのひとつでもあった。

「軽いものを持ち上げています。重いものはスイッチが入らない。考えていなかったけど、気がつけば先生の形になっています」
 前監督の大西健はアームカールやスクワットが素早くできる重さでやらせた。古希を超えた恩師の凄みは今も感じる。

 朝練の再開理由は、自宅近くに24時間のジムができたり、W杯での日本代表の8強入りに刺激を受けたからだ。学生時代と同じ1時間近く体を動かし、出社する。

 車で30分ほど行った博多の北東、多の津の問屋街に石蔵商店はある。創業は終戦の1945年(昭和20)。一族経営で計両機器と建材の2事業部制だ。石蔵は建材のトップ、事業部長として30人ほどの社員を束ねる。商材は石やタイルや断熱材などを扱い、付随する土木やとびや塗装など展開は幅広い。

「おかげさまで、コロナに負けることなく、増収増益を続けています」
 昨年4月には会社「ハウストン」を立ち上げ、新事業に乗り出す。シャワー時に殺菌と洗浄の両効果があるヘッドの作製などに取り組む。複数の会社の事業継承も受けた。

 石蔵はバンカーだった。三菱東京UFJ(現・三菱UFJ)に2008年に入行する。
「銀行は幅広く社会を見渡せると思いました」
 就活の解禁は前年の4月1日。連日、面接が続く。受かればその夜に電話がある。

 その面接が新装のグラウンド開きとぶつかった。招待チームは慶應。日本ラグビーのルーツ校と戦う晴れ舞台だった。
「明日は行けません」
 正CTBの石蔵は就職より試合を取った。
「30点くらいの攻防で、5点差で負けました」
 敗戦と辞退。「泣き面に蜂」と思いきや、面接は次のステージに上げられる。

 あとで人事担当の重役が言った。
「君は今やらなければいけないことがわかっている。そういう人間がウチには必要だ」
 三和、東海を含めメガバンク4行が合併した懐の深さを感じる。その2期生になった。

 同期の総合職は500人ほど。頭取になれる可能性のある職種での採用は、母校からはただひとりだった。支店は大阪の十三(じゅうそう)に3年、浜松に2年、東京に1年いた。

「石蔵さんの動きって、地銀ですよね」
 地方銀行のライバルから都市銀行の人間とは思われない。ドブ板営業をかける。
「雨の日は営業に行かないのですが、僕は行きました。ソルジャー採用だったので」
 兵士という英語に体力重視の自分をあてはめる。行内の優秀者表彰は7回に達した。

 その後、大阪の本部に引き抜かれる。企業合併や法人投資などを担当して2年を終える。父・義孝の体調不良が伝わり、福岡に戻る。家業を継ぎ、今年で6年目に入る。

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