【ラグリパWest】京産魂で生きる 石蔵義浩 [石蔵商店 建材事業部]
その石蔵の心身を鍛え上げたのは、猛練習でなる京産大での4年間だった。石蔵は一浪生で、一般入学。ラグビー推薦の同期は山下裕史がいた。神戸製鋼のPRとして日本代表キャップは51を数える。
「先生がジャージーを着て出てきたら、あーあ、と絶望感がよぎったものです」
大西が蹴るボールをセービングなどで拾い、3人で50メートル以上をつなぐ。「ヘッド」と呼ばれる練習は1時間以上も続いた。
「何もしていないのにいきなりあの練習。原因不明の高熱と下痢になりました」
それでも、夏の1か月のオフは自主トレを続ける。大西はタックルを中心に評価。1年からレギュラーを獲る。銀行の評価通り、やるべきことを知り、実行できた。
3年時は第43回大学選手権(2006年度)で準決勝に進む。早稲田に12—55で破れるが、トイメンの今村雄太を抜かせなかった。
「めちゃくちゃ間合いつめて、ボールを持った瞬間、タックルに入りました」
現在はサニックスでプレーし、日本代表キャップ39を持つ中心選手を抑え込む。以後、京産大の4強入りはない。
身長は172センチと大きくなかった。それもあって銀行員になった。
競技を始めたのは小1と早い。ラグビー好きだった父に春日リトルラガーズに連れて行かれる。
高校は筑紫丘。修猷館、福岡とともに地元では「御三家」と呼ばれる名門県立校に進む。ラグビー部は1946年創部。花園には3回出ている。石蔵は出場経験こそないが、高3時には国体のオール福岡に選ばれた。
ラグビーに熱中すればするほど、机が遠くなる。結果は浪人。その間は楕円球がなくなった反動で髪も染めた。
「偏差値は1しか上がりませんでした」
試合中継はよく見た。大西の人生訓「楽志」(らくし=志を楽しむ)に感銘を受け、入部する。そして、今につながる。
昨年4月から天神にある事業構想の大学院に通い、W杯で経験した観戦旅行者によるインバウンドの恒久化などを考える。
つらい練習をともに乗り越えた大学同期の力にもなれればいい。吉瀬(きちぜ)晋太郎は浮羽究真館の教員兼監督。県内南東部にある高校の部活強化を軸に、周辺地域の活性化を目指している。
きつくなれば京産大時代を思い出す。
「あれ以上のしんどさはありません。あの時のことを思えば何でも乗り越えられる」
死ぬ思いで過ごした4年間。今はそれが生きる支えになっている。