国内 2021.02.13
ラグマガで振り返る。トップリーグはこうして始まった(3)-名称決定-

ラグマガで振り返る。トップリーグはこうして始まった(3)-名称決定-

[ 編集部 ]
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 早ければ翌16日にも、トップリーグ一番乗りのチームが決まる可能性があったため、その時に仮称では、と発表を急いだようだ。しかし、各地域リーグの動向は何週間も前から分かっていたこと。出席者の背後に協会旗を貼っただけの会見場は、準備不足を物語っていた。

  参加チーム数、構造、初年度参加チームの選出方法、そして今回の正式名称と、トップリーグの骨格はこれですべて明らかになった。今後発表される事項は、運営上は重要ではあっても「全チームをプロ化する」というような内容でない限り、世間一般の目を引きつけるだけの注目度は持ち得ないだろう。正式名称の発表は、開幕前に花火を打ち上げる最後の機会だったかも知れない。

 この寂しい記者会見の2日後、サントリーがトップリーグ一番乗りを決めた。クボタの頑張りもあって、終盤まで緊張感が続く、記念すべき試合にふさわしい内容。しかし、舞台がトップリーグの主会場にもなる秩父宮ではなかったのが残念だった。会場の栃木県グリーンスタジアムは立派な競技場で地元協会の運営にも問題はなかった。ただ今年は、優勝チームが初代のトップリーグ参加チームと最後の東日本チャンピオンになるという特別のシーズン。それだけに、会場選びには相応の配慮が欲しかった。’97年からの5年間で、優勝決定が最終節までもつれたのは昨年のみ。この試合が優勝争いの一戦となる可能性は十分に予想できたはずだ。

 それでも、新聞各社や通信社、テレビ局が多数取材に訪れたが、現場でのメディア対応はまったくなし。日本協会がトップリーグを本気でプロモートする気なら、リーグのロゴマーク入りボードの前で、町井会長がサントリーの大久保直弥主将にトップリーグの参加章を手渡すぐらいの演出があってもいいはずだ。

 ところが、日本協会はおろか主催の関東協会のプレゼンスすらなく、試合後は、テレビを中心にピッチ上で早い者勝ちのインタビューが始まる始末。頭に巻いたテープに鮮血がにじんだままの大久保主将はタッチライン際で立ったままで取材に応え、活字媒体による土田監督への共同取材も、記者室のイスを土田監督自身も参加して並べ直し、車座で行うという有様だった。

 あの日本協会が主催し、この関東協会などが主管となって運営されることになるトップリーグ。本来なら華やかなムードに包まれるべき数日間に、逆に不安が募った。

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