国内 2021.02.02

体脂肪率6パーセント減、レギュラー初年度に好スクラム。明大・中村公星は寮で伸びた。

[ 向 風見也 ]
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体脂肪率6パーセント減、レギュラー初年度に好スクラム。明大・中村公星は寮で伸びた。
大学選手権の準決勝で天理大を相手にスクラムを組む明治大の左PR中村公星(撮影:松本かおり)


 中村公星は約5年間、寮で生きる。

 都内の親元を離れ、國學院栃木高へ進んだのは2016年春。高校を出れば、東京は世田谷の八幡山地区にある明大ラグビー部の拠点へ移る。

「寮生同士でのコミュニケーションが楽しく、親にやってもらっていた洗濯をして、その大変さがわかりました」

 こう語ったのは大学2年のシーズン中。折しも、人同士が密接に関わる環境が議論の的とされがちだった。

 突然、湧き出た世論に対し、中村は、渋谷でハロウィンを楽しむ若者以上に健全に過ごしているといった趣旨をフランクな言い回しで述べる。話をした時点で居住区域から「8か月以上」は外出せずにいたし、結局、活動を止めずにシーズンを終えられた。改めて言う。

「高校3年間も、大学2年間も、寮生活には満足しています」

 2020年度の大学ラグビーシーンは、活動制限と無縁ではなかった。全国優勝過去13回の明大も例外ではなく、4月上旬からの約3か月半は全部員が住む寮を一時解散させていた。自主練習期間を過ごした。

 先の見えないトンネルを前向きに通過してきた1人が、この中村だった。寮の近くにある実家へは戻らず、公式で「183センチ、体重111キロ」という身体の幹を鍛える。

 ひたすら走り込んだ。ブロンコと呼ばれる、20メートル間、40メートル間、60メートル間の往復を休憩せずに5本ずつおこなうフィットネステストの数値を、当初の「5分50秒」から「5分8秒」に縮める。

 ウェイトトレーニングにも注力した。食生活の見直しと相まって、体脂肪率を「28パーセント」から「22パーセント」に削った。

 マヨネーズ厳禁の食堂で出る「寮メシ」にも、後押しされる。

「自粛前はオフ期間で、その時の食生活が悪かったんです。寮メシは高たんぱく低脂肪。生活のリズムも寮できっちりしたこともあって(コンディションが)よくなったかなと」

 成果が表れたのは晩秋頃だ。

 11月22日、東京・秩父宮ラグビー場での帝京大戦で1番をつける。加盟する関東大学対抗戦Aでの初先発だ。この午後は持ち場のスクラムで魅して39-23で勝利。そのままシーズンを終えるまで、1番を死守した。

 特に持ち味を示したのが12月6日。秩父宮での早大戦だ。

 当日を迎えるにあたり、中村は寮で、さらには練習場で、「仮想早大」を担うメンバー外の上級生たちの献身に触れる。分析の末、スクラムを組む瞬間の腕の取り合いで相手が圧をかけてくると見立てられた。当日はその領域で先手を取るように意識し、後方からの力を向こうへ伝えた。 34-14で勝った。

「自分だけじゃなくて、周りの気持ちを背負ったらいいプレーができました」

 胸に秘めていたのは、約90名の部員の代表者としての責任感だった。

「ひとつのプレーが勝利に導いたり、負けに導いたりする。出られない人の分の気持ちを背負って出なければいけないと、プレッシャーを感じました」

 楕円球と出会ったのは小学3年の頃だ。たまたま国内トップリーグの試合を観る機会があり、やがて自宅の近所で活動するワセダクラブへ加わる。
 
 当時から身長は150センチと、周りの子どもより大きかった。

「恥ずかしいんですけど、(始めた)きっかけは運動不足の解消なんですよ。全員ボールが持てて全員に活躍の場がある。それが(ラグビーの)楽しいところでしたね」

 家にいた姉と兄は國學院久我山へ進み、それぞれバレーボール、陸上競技に親しんだ。自分だけ遠方へ移ったのは、在校した北中野中の指導者に勧められたうえ、もともと寮生活に憧れていたからだ。

 都内の寮に暮らすいまの立場は、高校3年で「スプリングスクール」というセレクション機会へ挑んで勝ち取った。入学したての頃は当時のレギュラー選手にスクラムで体勢を崩され続けたが、反復練習のうちに力の出せる身体の使い方に出会えた。

 その延長で残したのが昨季終盤のパフォーマンスであり、2年連続で大学日本一を逃すという、悔しい結果だった。

 成長できそうな環境を自主的に選び、成長を遂げる。中村はその過程にいる。

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