国内 2021.01.12

75歳のミスター・リコー。グラウンド管理の匠・上床停喜さんのラストシーズン。

[ 多羅正崇 ]
75歳のミスター・リコー。グラウンド管理の匠・上床停喜さんのラストシーズン。
37年に渡ってリコーのグラウンドをベストの状態に維持してきた上床停喜さん。(撮影/多羅正崇)


“ミスター・リコー”が2021年シーズンで引退するという。

 上床停喜(うわとこ・ていき)さん。1945年生まれの75歳。東京都世田谷区宇奈根にあるリコーブラックラムズの拠点「リコー総合グラウンド」を管理して、今年で37年目になる。

「もう75歳ですから。岡山の井原(市)に空き家があるんで、帰ってのんびりします」

 上床さんが今年でグラウンド管理を辞めると聞いて、ブラックラムズの選手・関係者は寂しがった——オヤジ、いてくれよ。

「選手には『オヤジ』と呼ばれてます。この辺りの飲み屋でも『リコーのオヤジ』で通ってます」

 上質なリコーグラウンドは国内外で評判だ。スーパーラグビーでサンウルブズ戦のために来日した海外チームは、リコーグラウンドを頻繁に使用した。

 2008年から3季リコーでプレーした元オーストラリア代表のスティーブン・ラーカムは、芝を絶賛し、退団時にサインボールを上床さんに贈った。レフリーが試合後にやってきて「このグラウンドは足が疲れません」と伝えてくれたこともある。

 37年のグラウンド管理で養った経験は底知れない。グラウンドから道路を一本挟んだ先にある多摩川の土手を見て、直感が働くこともある。

「(土手を見て)芝が水を欲しがってるのかな、とか。そのくらいですよ。ただの勘です」

 グラウンドだけではない。リコーのラグビー、選手も見続けてきた。往年の名選手、名監督も、上床さんにかかれば息子になる。

 リコーに在籍した元サモア代表のエディー・イオアネには、知人からもらったハイエースをプレゼントした。その息子がリコーグラウンドを走り回っていたことを上床さんは憶えている。

「アキラはきかん坊でね」

 きかん坊のアキラ・イオアネはその後、ニュージーランド代表のFL/NO8になった。

「今のGMから何から、私がやっている頃に入ってきた子たちです。昔は三階建てのクラブハウスがあって、65歳くらいまでそこに住んでたんですけど——関東学院大学の桜井(勝則)とか、山梨学院大学の吉田浩二、熊本西高校の門脇(永記)とか、彼らは息子みたいなもんです」

 あとは田沼くん(広之)とかね——過去を振り返る上床さんの目は楽しげだった。空腹で部屋を訪ねてくる選手たちに、上床さんの奥さんは手料理を振る舞った。その奥さんが亡くなると、200人超のチーム関係者・OBが葬儀に参列したという。

 上床さんは鹿児島県の国分市(現・霧島市)出身だ。日本の降伏により第二次世界大戦が終結した1945年に生まれ、「停戦」は「喜ばしい」ことから「停喜」と名付けられた。

 ダンプトラックの運転手などを経験し、知人の伝手で小田原城カントリークラブ(神奈川)の芝張りを手伝ったことからグラウンド・キーパーの道へ。土だったリコーグラウンドの芝張りにも携わり、1面のラグビーグラウンドと向き合ってきた。

 恩人は元日本代表ウイング、元リコー監督の水谷眞・関東協会会長だ。

「女房を亡くした時も水谷さんが『絶対に辞めちゃだめだ』と言ってくれたから。今ここにいるのも水谷さんのおかげです」

 宝物は1987年ワールドカップ日本代表のサインボールだ。

 開催国であるニュージーランドへ旅立つ前、日本代表は「ここで練習していました」(上床さん)。コーチの一人として宮地克実監督を支えた水谷さんから、代表選手のサインボールを贈られた。

「水谷さんから『全員がサインしたボールだからあげる』と。亡くなった洞口さん(孝治)、ノフォムリさん(タウモエフォラウ)さんの名前もあります。倉庫に置いてあったから、こんなに傷だらけになってしまった」

 倉庫から出してくれた革のサインボールをさすり、上床さんは穏やかに笑った。

 リコーの現役選手にはもう伝えている。
 今年で最後だから、頑張ってくれよ。

「選手には『今年最後だから頑張ってくれ』と言っているんです。『頑張るよ』と言ってくれました」

 2021年1月16日に開幕するトップリーグ。2022年より新リーグが始まるため、トップリーグ自体も2021年大会が最後だ。“ミスター・リコー”上床さんのラストシーズンが、いよいよ始まる。

宝物のひとつ、第1回W杯に出場した日本代表メンバーのサイン入りボール。(撮影/多羅正崇)

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