【コラム】ラストワンプレーの逡巡
前日のやりとりも頭をよぎったという。倉橋とは試合の状況に応じた交代のパターンを話し合っていた。「3列がけがしたら、交代は宮本」。普段の練習態度から湯浅監督が「信頼の塊」というほど、仲間たちは宮本をリスペクトしていた。倉橋とは同じ中学の出身でもあった。宮本との交代なら、倉橋も後悔はないはずだ。
わずかな時間に思考を巡らせ、湯浅監督は交代を告げた。握手で宮本を送り出す。そばにいた倉橋が「行ってこいよ」と宮本に語りかけたのが聞こえた。
その後試合は再開された。仰星のノックオンで、死闘は終わった。抽選で準決勝に進んだのは東福岡だった。
翌日、大会中に滞在したホテルから学校に戻った。頭を打った倉橋は監督の車に乗せていた。車中、教え子に語りかけた。
「仰星を選んでよかったか」
「仰星じゃなかったら、僕は(自分勝手なまま)終わっていたと思います。仰星に入って、メチャクチャ良かった」
試合後に泣いて、ロッカーですぐに切り替えた、人間味あふれる青年はスッキリとした表情でそう答えたという。
仰星では脳振盪を極力避けるような練習を日々積み重ねている。だから、湯浅監督はあの場面で選手の将来を考え、躊躇なく選手を代えた。そんなストーリーを勝手に想像していた。実際は少し違った。心は左右に振れていた。
脳振盪の問題は、イングランドの元代表選手らが引退後の後遺症を訴えるなど、競技が抱える構造的な課題として指摘されている。私は年末、脳振盪に苦しみ引退を余儀なくされた元日本代表の平尾剛さんの話を聞いた。安全対策を進める日本にとっても、この問題は対岸の火事でないことがよく分かった。その意味で仰星の交代はいい前例だ。
わずかな脳振盪の懸念を感じたらプレーをさせない。特に多くの若年層を教える指導者が持たなければいけない心構えだ。ただ、そこに直面した監督が悩みながら決断したことも忘れたくない。選手たちの成長を強く思うから迷うのだ。その事実もまた尊い。