コラム 2020.12.31

【コラム】虹、涙、出会いとラグビー。

[ 田村一博 ]
【コラム】虹、涙、出会いとラグビー。
12月30日、花園にかかった大きな虹。


 2020年が終わる。2021年が始まる。
 ラグビーは続く。窮屈な生活はしばらく終わりそうにない。

 12月30日、花園ラグビー場では全国高校大会の2回戦がおこなわれた。第1グラウンドでは秋田工と西陵(愛知)が戦っていた。

 空が暗くなり、強風、そして冷たい雨。やがて陽が差すと、大きく、くっきりした虹が出た。
 輝く芝の上では、若者たちの奮闘が続いていた。

 その秋田工と西陵の試合は、48-0のスコアで前者が勝った。敗れた西陵の山田和正監督は試合後、「家族より長く一緒に過ごしてきたこのメンバーと、1秒でも長くいたかった」と話した。

 勇敢なプレーを繰り返したNO8平野叶苑(かえん)主将は、首を氷で冷やしながら記者たちの質問に誠実に答えた。
 試合中、ラインアウトから前に出た時に少し頭を下げてしまった。相手とコンタクトした瞬間、もともと悪かった箇所をさらに痛めた。

 試合を振り返り、「自分たちの強みのFWプレーで(トライを)取り切れなかった。相手のプレッシャーを受けて何度もボールを渡してしまった」と話した。
 後輩たちにはどんなチームを作ってほしいですか。
 そう問われると、言葉が出てこなかった。懸命に考えた後、「すみません。いまはわかりません」。
 空っぽになるまで走り回ったからだ。取材対応中、ずっと息が荒かった。

 首を痛めながらも最後まで戦い抜いた。後輩たちに何かを伝えられたのではないですか。そう問われて涙が溢れ出た。
「プレーを続けることはできましたが、特に後半は何もできませんでした。それが悔しくて。伝えることなんてできていない…」と話したところで言葉が続かなくなった。
 これからの人生でも、きっとリーダーとして生きていく。強い責任感は、どこでも信頼される。

 100回目の全国高校ラグビーの開幕から3日間の取材を通して、多くの高校生の純真に触れた。
 試合後の取材は約5分。ビニールシート越しの会話でいつもの年と違うけれど、それぞれの情熱は伝わってくる。

 一直線に走りました。
 自分の走りをそう表現したのは、高鍋(宮崎)のWTB近藤雄真だ。流経大柏(千葉)に12-30と敗れるも、チームが奪った2トライはこの人がインゴールにボールを運んだ。
 ラグビーマガジンの『花園ガイド』には160センチとあるが、「本当は159センチです」と話す表情がかわいい。対戦相手のNO8、201センチのディアンズ ワーナーと40センチ以上も違うと笑い、「体重は倍(62キロと118キロ)違いますが、同じ高校生、戦えるところはありました」と少し胸を張った。

 トライシーンを回想する。
「広いスペースが自分の前にありました。自分のポジションの役目はトライを取ること。一直線に走りました。フォワードやセンターが体を張ってくれていたので、絶対に走り切るつもりでした」
 目標とする南アフリカ代表のポケットロケット、チェズリン・コルビのように駆けた。
 卒業後は実家が経営するドッグサロンに就職する。お客さんは、花園で2トライを決めたラグビーマンと気づくだろうか。

 長崎北陽台に14-69と敗れた。
 しかし函館ラ・サール(北海道)の選手たちは、宇佐見純平監督が「高校生らしく戦い切った」と愛でるように、最後まで積み重ねてきたことを出そうと挑み続けた。
 後半25分、ハイパントから奪ったトライは準備してきたプレーだ。SH米重皓己は「地上戦の強い相手からトライを取るために考えてきたことを最後までやりました」と話した。

 米重主将は戦い終えたばかりの50分のこと、後輩たちへの思いを丁寧に話した。そして、大阪入りした後の出会いについても教えてくれた。
 12月21日の練習は、神戸製鋼のグラウンドでおこなった。その日は日本代表のラファエレ ティモシーがともに時間を過ごしてくれた。

 チームとティモシーの縁は、春から繋がっていた。著書『つなげる力』を読んで感動した1年生の志賀申之介がTwitter経由で本人にコンタクトを取ったのがきっかけだった。
 ティモシーは「いつか函館に行くよ」と言ってくれた。それはコロナ禍で実現しなかったけれど、ラ・サールが花園出場を果たしたことで両者が出会えた。

 神戸製鋼灘浜グラウンドでの練習は10時からだった。それなのに、ティモシーは9時には駆けつけてくれた。
「僕たちより先にグラウンドに立っていてくれて感激しました。ティモシーはオークランドのラ・サール出身なので、『きみたちと僕はファミリーだよ』と言ってくれました。勝利を届けられなかったのが残念です」
 Bチームに入って、その日の練習に最後まで加わってくれた。日本を代表する選手としての振る舞いに触れ、あらたなパワーをもらった。

 花園に3日いるだけで、こちらもたくさんのエナジーをもらった。若者たちと触れ合ったから虹がいつもより大きく、濃く見えたのかな。
 多くの人たちが苦しんだ2020年のことなんて早く忘れたい。
 いや、やっぱり忘れたくない。忘れてはいけない。
 無観客のスタジアム。歓声のない中でのプレー。虹のかかる中での奮闘、涙、笑顔。すべてが、いつもの年の花園と同じように宝物だ。

【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。1989年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。

PICK UP