国内 2020.08.27

菅平救うクラウドファンディングの発案者、天理大ラグビー部と交わした約束。

[ 向 風見也 ]
菅平救うクラウドファンディングの発案者、天理大ラグビー部と交わした約束。
『WE ARE スガダイラーズ PROJECT』の発起人である大久保寿幸さん(写真:本人提供)


 天理大ラグビー部の小松節夫監督から着信があったのは、8月の上旬だったか。話し相手の大久保寿幸さんは、「とりあえず、頂点に立ってください」とだけ言った。

 代表取締役を務める長野県の菅平プリンスホテルで、17日から天理大の合宿を受け入れる予定だった。減少傾向にあった宿泊予約が、またひとつ、減った。

 後の報道で、部内に新型コロナウイルスの感染者が出たことが伝わる。大久保さんのもとには、チームの主務、トレーナー、マネージャーも涙声で電話してきたようだ。返した言葉は、「そんなの、防ぎようはない」。宿主は、決して感染者を責めなかった。

「選手だって喉が渇くだろうし、(練習後は)コンビニにも寄りたいだろう。それではどこで(ウイルスを)拾ってくるかなんて、わからない。誰も、悪くないでしょう。ごめんなさいと言われても、俺にそんな(謝罪を求める)気持ちはないから」

 ホテルは実家だ。夏になると体格のいい高校生や大学生が合宿に訪れていた。このラグビーの縁は、人生初の一人旅にもつながったと笑う。

 小学1年の時、泊まっていた報徳学園高の帰りのバスへ乗り込む。そのまま兵庫県へ訪れ、当時の選手だった西條裕郎現監督の実家に泊まった。さらには広島から越境していた他の部員の里帰りに同行し、原爆ドームなどを観光。帰りは大人たちの指示通りに新幹線に乗り込み、名古屋駅で親戚に迎えられた。

「菅平にいたら、仕事を手伝わされるじゃないですか。スリッパではなく、下駄をそろえるんですよ。それなら、外で遊んでいたほうがいい」

 少年期から青年期は、馬術で道を切り開いた。上田西高に進んだ10代後半の時代は、山の下で一人暮らし。毎朝、住まいの近くの乗馬クラブへ通った。国体でも活躍し、中大進学後は日本代表関連の海外遠征も経験した。

「大学は5年の時は自費でトレーニングをしに(海外へ)。7年かけて卒業しました」

 大学卒業後は4年間のプロ生活を送る。実家に戻ったのは、30歳になる2002年。全国の小中学校向けの農村体験企画を旅行会社に売り込むなどし、業績を伸ばした。試行錯誤を重ね、当時陥っていた経営危機を脱した。

 大久保さんにとって、今度のコロナ禍は最大級のピンチだったろう。

 天理大のキャンセルが出る以前から、1年に複数、受け入れていた合宿のほとんどがなくなっていた。資金繰りはタフになっていて、他の宿の窮状はそれ以上に深刻に映った。確かに、いまのような時代が来る前に増築したり、新たに体育館を建てたりした宿にとって、政府や自治体が勧める給付金や借入でしのぐのは簡単ではない。

 ここで大久保さんが活かしたのは、持ち前の行動力だった。一部の宿泊施設が閉鎖を余儀なくされる菅平高原の命をつなぐべく、「WE ARE スガダイラーズ PROJECT」というクラウドファンディングを立ち上げる(https://motion-gallery.net/projects/sugadairers2020)。

 目標金額は5000万円。返礼品の制作、設置や送料、諸経費を除く全ての支援金は、大久保さんが副組合長を務める菅平高原旅館組合の運営費に充てる。緊急医療施設などが入った菅平リゾートセンターは、組合の運営費で成り立つ。

 つまり今回、大久保さんは菅平と菅平のラグビーマンを救う最低限の金額のみを求めているのだ。

「組合でお金を集めないわけにはいかないけど、皆(組合員)から集めるわけにはいかない。そこで今回は皆に、払わなければいけなかったもの(組合の運営費)は(クラウドファンディングで集めるから)別なところに使ってね…と言える形を取りました。本当は(目標額を)1億、2億といきたいところでしたが、そのページを見た人が『え?』と思わないか、とも感じました。だから僕らが拠出する1年分の額でも助けてもらえれば、と設定しました」

 返礼品は豊富だ。30万円コースへの出資者には、菅平に100以上もあるグラウンドの1つのネーミングライツ権を1年間、付与する。実行部隊の1人によれば、東大の現役学生が資金を出し合ってこのコースを入札した例もあるという。

 8000円のコースの返礼品は、日野でプレーする浅原拓真の書き下ろしデザイン画がプリントされたオリジナルTシャツだ。現役選手ながらスポーツ紙などからイラスト制作を依頼される浅原も、この取り組みを支援するのである。

 集まった金額は、お盆の頃には目標の5割を超えた。期限は8月いっぱいまでだ。

「支援してくれた方のコメントを見て、こんなに応援してくれるのならもっと頑張ろうと思いました。それだけではなく、今後も菅平をもっと快適に過ごせて、よりよい合宿のサポートができる地域にしたい。菅平の皆もそう感じてくれたらいいですね」

 32歳で地元の「菅平やどろく倶楽部」でラグビーを始めた大久保さんが話したのは、テレビ局の密着取材を受けた17日の夜。転んでもただでは起きない。悲壮感はにじませない。着ていたのは、「頂点を」と約束した天理大のTシャツだった。

PICK UP