【ラグリパWest】待っている子供たちのために。角田眞章[大阪・平野西小学校校長]
起きるのは朝4時だ。
角田眞章(つのだ・まさあき)は7時には平野西小学校にいる。
校長としての勤務先である。
自宅は京都寄りの枚方(ひらかた)。小学校へはJRと地下鉄を乗り継ぎ、大阪府内を南西に2時間ほど下る。
「学校に着く時間は教員になってからずっと変わりません」
眼鏡の奥の丸い目が細く、柔らかくなる。体はがっちり。楕円球への愛好を示す。
校務は学校周りの掃除から始まる。
「タバコの吸い殻なんかを拾います。子供たちを綺麗な環境で迎えてあげたいので」
トップに立つ者の思いがにじむ。
8月8日から17日間の夏休みに入った。
「初めてのことでしたが、暑さがまだましで、生徒にはよかったです」
例年なら7月の下旬から40日ほど休みは続く。今年はコロナの影響で、授業日がずれ込んだ。
58歳の角田も水泳の授業を受け持った。専門は保健・体育である。
「コロナ予防でプールは1クラスずつになりました。先生が足りない時もあるので」
3クラス×6学年で生徒は約600人。
「小学校では大規模校になりますね」
時間があればクラスを回る。授業を見る。現場が好きだ。
平野西小の開校は戦前。3年後に太平洋戦争が勃発する1938年(昭和13)である。
学校のある平野も歴史は古い。大阪市の南東に位置し、戦国時代には集落を堀で囲った環濠都市を形成していた。
90年以上前には大阪女子師範学校(大阪教育大の前身)が移転。現在も付属の小中高が残るなど、教育への興味も強い。
「地域は学校に協力的です」
コロナの影響で4月7日の入学式は中止になった。決定はその前日。しかし、学校へのクレームはなかった。
「そういうことがあってもおかしくない中で、みなさん、状況を理解してくれました」
角田は校長になって3年目。それ以前は中学校の教員だった。
「中から小への異動はよくあります」
採用は大阪市教員。その中で動く。
「子供が待ってくれてんのやろな。縁やろな。転勤のたびにそう思います」
教員免許を取った大体大ではラグビー部にいた。
得たものを中学では放出(はなてん)、旭東、喜連で施す。近鉄のスクラムコーチである太田春樹は旭東時代の教え子。教頭としては、巽、旭東、都島に赴任した。
ラグビーの指導は管理職になってやめた。
「大きなケガが怖くなりました。試合が終わって、勝ち負けよりも、ケガをせんでよかった、と思うようになれば、勝負師としてはアカンでしょう。若い頃は、ケガはつきもの、とうそぶいていました。でも親になって親の気持ちがわかりました」
その心境の変化の中、長男の騰仁(のりと)は、尾道から京産大に進んでいる。