国内 2020.06.04

優しき長男、濱里祐介(宗像サニックス)。これからも、周囲を笑顔に。

[ 編集部 ]
優しき長男、濱里祐介(宗像サニックス)。これからも、周囲を笑顔に。
180センチ、92キロ。地道なプレーでチームに貢献した。(撮影/上野弘明)



 十分やり切った。そう思っていたのだけど。
 仲間から届いたメッセージを見て、「もっと長くやって、もっと結果を残せていたらな、と」いう感情が湧いた。

 励みになっていたよ。
 同級生の誇りだった。
 勇退のニュースを知った高校や大学時代のチームメート、お世話になった人たちから、そんな思いが届けられた。

 宗像サニックスブルースで11シーズンに渡りプレーした濱里祐介が(FL/NO8)、トップリーグ2020(3月中旬で打ち切り)を区切りにスパイクを脱いだ。
 35歳。チームのスタッフに転身する。「自分がプレーしている間には、トップ4に入るようなチームには数回しか勝てませんでした。なので、強いところに勝つような楽しい試合をもっと味わえるチームになるように、現役(選手)をサポートしたい」と抱負を話す。

 ブルースに沖縄の風を運んだ濱里3兄弟の長男。次男の周作より入団は2年遅い。
 沖縄・名護高校から大阪体育大学に進学し、近鉄に入団。2年で退団することになり、あらためて「きびしい世界に生きている」ことを実感した。

 縁あってブルースに加わってからは、自分にできることを、それまで以上に強く表現したから11シーズンもプレーできた。
「次男、三男(耕平)にはブルースでの公式戦通算キャップ(102)、トップリーグ出場数(70)でも負けているように、自分にはセンスがない。でもそのぶん、運動量やゲームの理解度、愚直さ。自分の持ち味で勝負してきました」

 4番から8番まで、すべてのポジションでチームの期待に応えた。
 その中でも本人のお気に入りだったのが、7番だ。「自分が得意というより、そこがカッコいいな、と思っていました。オープン(サイド)を任されて真っ先に走る。スクラムからいちばんにタックルにいけるチャンスをもらえる。そういうプレーができるので、7番でプレーできた時は嬉しかった」と話す。

 3兄弟が揃ってトップリーグのピッチに初めて立ったのは、2010-2011年シーズンの開幕戦。福岡・レベルファイブスタジアムでのコカ・コーラ戦だった。
 2012年12月16日、沖縄でのトヨタ自動車戦で3人一緒にプレーした時には多くの人たちが喜んでくれた。
 いまでこそ同郷の士が多く活躍するも、当時はまだそうではなかった。
「沖縄のことは意識してプレーしていました。自分たちを見て、沖縄の人たちもトップリーグでできるんだよ、というものが伝わったらいいな、と思っていました」

 トヨタ自動車に2回(2011年度、2016年度)、東芝に1回(2016年度)勝った。そのときの興奮は、記憶に刻まれている。
「応援してくれている人たちの声援や盛り上がりをおぼえています」と、喜ぶ人たちの姿をすぐに思い浮かべるのがこの人らしい。
 普段は木訥として、優しい。本格的なトレーニングが必要ない生活になって、すでに体重が5〜6キロ落ちた。

 海もある。山もある。宗像での生活を気に入っている。そして、その生活はこれからも続く。
 今回の引退が決まった後も兄弟3人で集まり、呑んだ。自分と同じタイミングで現役を退いた次男は沖縄に戻ったから、これまでのようにはいかなくなるが、玄海グラウンドでチームが勝利するための準備を重ねる生活は変わらない。

 愛称「はまじ」は、『ちびまる子ちゃん』のキャラクターからついた。そちらはお調子者の印象も、宗像のはまじは、これからも誠実に仲間を支え続ける。

2012年、沖縄でおこなわれたトヨタ自動車戦でも3兄弟揃ってプレーした。左から三男・耕平、次男・周作、長男・祐介。(撮影/上野弘明)

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