努力でつかんだ「エースナンバー」。寺脇駿、宗像サニックス入りまでの一本道。
これは、スクラムで組み勝つためのフォルムではないか。
公式で身長175センチ、体重108キロの身体で特徴的なのは、首から肩にかけ徐々に隆起する筋肉と胸板の厚み、背中から太ももにかけての一直線に映るシルエットだ。
寺脇駿は、今年3月まで在籍した京産大のラグビー部にあって3番をつけてきた。スクラムを伝統的な長所としてきたこれまでの京産大にあって、最前列たる右PRの先発がつける3番は「エースナンバー」に等しい。
大西健前監督は、「例えば3番の寺脇。あの子は……」。埼玉・熊谷ラグビー場での大学選手権3回戦で日大に19-24と敗れた12月15日、好スクラムで魅した寺脇を讃えた。
「日本航空では補欠の選手だったんですよ。でも、うちに来て日々、努力をしたと思います。そしてこの晴れ舞台で3番を張れるようになりました」
大阪の柴島中でラグビーを始めたが、「中学の時は運動神経も悪くて」。同じラグビーを続けるにしても、競技のさかんな地元の強豪ではなく北陸の日本航空高校石川を選んだ。進学先は少数精鋭の趣がありながら、全国高校ラグビー大会の常連校だったのがよかった。
指揮官の言葉通り、高校でもすぐに芽が出たわけではない。それでも本当に苦しかったのは、18歳までにいくらかの成功体験を得て、意気揚々と門を叩いた京産大で鼻の柱を折られた時期だった。
延々と続く走り込み、朝6時半に始まるウェイトトレーニング……。3年目になればこれら京産大の日常に慣れてきたものの、春の試合で3番をつけるのは当時の1年生選手だった。1日1時間超のスクラムセッションで鍛え込む寺脇にとって、周囲が「今年の京産大はスクラムが課題」と言っているのが悔しかった。
もっともそのシーズンの終盤には、組み合ってから簡単にぶれぬ姿勢でレギュラーを奪取。そのまま、大西監督のラストイヤーも不動の3番を張った。さらにこの春から、国内ラグビートップリーグの宗像サニックスへ加わる。隣のHOで組んでいた、5年目の宮崎達也と一緒だ。
ラグビーというスポーツの、それもスクラムというひとつのプレーを反復練習で磨いてきた。結果、新社会人としてのスタートラインを築き上げた。意志と覚悟が道を作った。