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【ラグリパWest】福本家の春。
真由は追手門学院で本格的にラグビーを始めた。中学時代は100メートルハードルで近畿4位。14秒52の記録を持っていた。
高3の秋、すい臓破裂の大けがを負う。静岡での試合でタックルに入った時、相手のかかとがお腹に当たった。
父が新大阪まで迎えに行き、緊急手術をする。生死の境をさまよった。目覚めた時、枕元には父がいた。
「おとうさん、ありがとう」
最初に出た言葉は謝意だった。
「ありがとうも何も、こっちが生きてくれてありがとうですよ」
父は今でもその時のことを忘れない。
航平の慶應進学は常翔学園のラグビー部からは3人目。ラグビースクールの先輩でもある南翔大と松本拓弥に続いた。
「おとうさんの影響もあったし、ジャージーも格好よかったです。中2の時に翔大さんが慶應に行ったのを聞いて、常翔を選びました」
ラグビーを極めながら、父と同じ大学に進むのは大変だった。
神戸の自宅から大阪の学校に朝練習に通うためには4時起き。5時過ぎの電車に乗る。校内での評定を下げず、受験対策もとらないといけない。父は振り返る。
「毎晩12時ごろまで勉強していました」
寝込んでしまい、明石の手前の須磨で車掌に揺り起こされたこともあった。
「航平がうかってくれたのはうれしいけど、やっていけんのかなあ、と不安になります」
父は天王寺高から入学。30年前の夏合宿は「地獄の山中湖」と呼ばれ、PRだった父は1日400本のスクラムを組んだ。
「数は覚えていません。しんどくて。ラスト10本、の声がかかっても、そこから100本くらい組んでいました」
今、そんな練習はないが、父にはその時代が強烈な思い出として残っている。
猛練習をくぐり抜けた父はU23日本代表に選ばれる。平尾誠二に誘われて、神戸製鋼へ。入社年次は1990年。その2年前から始まった全国社会人大会(トップリーグの前身)と日本選手権の7連覇を支えた。
その父の子として生まれた3人はそれぞれの経験を重ね、次のステージに進んでいく。
唯一所属が変わらない真由は目標がある。
「明治に勝てるところまで来ました。今年は日本一を目指してやっていきたいです」
監督は牟田からNTTドコモで現役を引退したOBの小樋??山樹に代わる。
「泰平と真由がおじいちゃんと同じ関学に、航平が僕と同じ慶應に行ってくれて幸せです」
父は感慨深い。
「みんながラグビーをやってくれてよかった。今でも会話がありますから。泰平がバスケをやっている時には会話がありませんでした。バスケはよくわからへんもんね」
父と同じラグビーを選んだ子供たち。そしてそれを支えた母。これからもその精神をよりどころにして人生を歩んで行く。