国内 2020.01.21

最後の最後までいつも通りのトモさん。現役ラストゲームで残した足跡は。

[ 向 風見也 ]
最後の最後までいつも通りのトモさん。現役ラストゲームで残した足跡は。
最終戦後、近鉄や日本代表で一緒にプレーしたタウファ統悦さんから花束をもらったトモさん(撮影:高塩隆)


 人呼んでトモさんは、現役最後の試合でもいつも通りのトモさんだった。

 2020年1月19日、東京・秩父宮ラグビー場。ラグビー日本代表としてワールドカップに4大会連続で出場したトモさんことトンプソン ルークが、近鉄の一員としてトップチャレンジリーグの最終節に先発した。栗田工業に74-0で快勝。チームは頂点に立った。

「今日は特別な日。チームが勝った。(トップチャレンジリーグで)優勝した。だから嬉しいね。それ一番、大事」

 2部相当の同リーグにあって異例の1万4599人の観客が集まるなか、身長196センチ、体重110キロの38歳は黒子役のLOとして下働きを重ねる。

 前半20分には敵陣ゴール前右のスクラムを低い姿勢で押し込み、NO8のロロ・ファカオシレアのトライをお膳立て。続く24分にも似たエリアでのラインアウトを捕球し、モールによるトライを演出した。

 以後は相手ボールのラックを乗り越えようとしたり、相手の持つボールに絡みついたり、大外で抜け出す味方へのサポートで相手のジャッカルを未然に防いだり。会場からの「ルーーーク!」という声援を受けて突進も重ね、味方のキックを追った先でタックルも決めた。

 ほぼ勝負のついた試合終盤には、普段は蹴ることのないゴールキックを2本、蹴り、1本、成功させた。後半ロスタイム50分のラストワンプレーの場面では、敵陣ゴール前左中間でボールをもらうや右斜め後ろへパス。トライを期待されるなか味方のトライを演出し、こうおどけた。

「もちろんやりたいけど、足遅いの。10年前ならチャンスがあったけど」

 この様子を「最後までチームファーストで…」と振り返るのは大野均。日本代表のLOとして98キャップ(代表戦出場数)を取得した41歳で、計71キャップのトンプソンとは歴史的3勝を挙げた2015年のイングランド大会まで3大会続けてワールドカップに出場。長らくコンビを組んできた。

 この日は「トモの最後の試合」を目に焼き付けるべくプライベートで観戦。「(本人とは試合後に)スタジアムの裏でちょっと」。ファンの写真撮影に応じた後、しみじみと語った。

「自分も、彼の背中に引っ張られて日本代表として戦うことができた。彼の人間性がそのままプレースタイルになっているんだろうなと、最後の最後まで感じました。今日はこれだけのお客さんが集まってくれて…本当に…いいものを見せてもらいました」

 ニュージーランド出身のトモさん。2003年に地元のカンタベリー地区代表として試合に出場も、チャンスは得づらかった。クリス・ジャックら、当時のニュージーランド代表選手の控えに甘んじることがほとんどだ。2004年に日本の三洋電機に入ったのは、さらなるプレー機会を得るためだった。

 転機は、近鉄に移籍した2006年。2008年度から3シーズンはクラブ史上初の外国出身主将となり、2010年には日本国籍を得た。拠点は東大阪市とあって関西弁も覚え、練習場の花園ラグビー場へはママチャリで通った。

 日本代表では骨惜しみないプレーで称賛を得たが、近鉄の有水剛志ヘッドコーチいわく「危機察知能力、ゲーム中の読みは他の選手にはない(もの)」。日本代表として挑んだワールドカップ日本大会のアイルランド代表戦では、チームで2番目に多い19本のタックルを放った。その背景には、相手の走り込むスペースを未然に埋めるポジショニングの適切さがあったのだろう。トモさんがその仮説を肯定するかは、別の話だが。

「私は特別な選手じゃない。努力の選手ね」

 試合後のトモさんは引退セレモニーで「言葉は難しい。でも、ありがとうございました。ファン、チームメイト…。言葉は難しいけど、ありがとうございました」と謝辞。応援されるほど謙虚になれると語ったタフでスマートな戦士が、オリジナルの惜別Tシャツを着る仲間の前でスパイクを脱いだ。

 引退後は母国で牧場経営をする。福島県の農家で生まれた大野は「彼はこの後も日本ラグビーのためにいろいろとやってくれるだろうし、周りも放っておかない。また会う機会を楽しみにしたい」とエールを送った。

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