【ラグリパWest】連覇の夢、断たれる。大阪桐蔭
「ツキがありませんでした」
綾部は唇をかんだ。
色々な要素が絡まり、戦後6校目となる花園連覇は消える。秋田工、目黒(現目黒学院)、相模台工(現神奈川総合産業)、啓光学園(現常翔啓光)、東福岡に続くことはなかった。
ただ、厳しい敗戦にも戦績は残る。
1983年(昭和58)創部のチームは全国大会8強進出を加えた。優勝、準優勝、4強は1回ずつ。8強は2回になった。
すべて綾部が監督になってからのことだ。白に胸元に太い濃紺が貫くジャージーを強豪にさせた。全国大会出場は8年連続14回目だが、そのうち11回は綾部が記録した。
この1月で45歳になる綾部は大体大出身。現役時代のポジションはCTBだった。
市立尼崎の監督である吉識伸は5歳上の先輩である。その大学院時代にコーチとして重なっている。
「優しい男でね、部内マッチで『LOがケガでおらへん』ってなったら、『ほな、俺がやるわ』と気軽にFWにいってくれていました。普通は嫌がるでしょう、そんなんは」
卒業後はコーチと保健・体育教員として母校に戻る。2006年の86回大会から初代監督の仲谷弘磨から指揮権を譲り受けた。吉識の感じた人間性に部員は集まり出す。
そのグラウンドは人工芝ではなく土。花園ラグビー場を見下ろす標高642メートルの生駒山の近くにある。国定公園の一角のため、開発に制限がかかる。それを逆手にとって看板のフィジカルを強化した。相撲の土俵と一緒。むき出しの地面の上での転がりはクッションがない分、体には強さが宿る。
「この土台を変えず、幅を持たせていきたい。これを超えるチームを作りたいですね」
前半27分、定石通りのタッチキックではなく、一気の逆襲からトライを奪われたことを「幅」という単語に置き換える。
大いなる悔しさをこれからのチームの推進力に変えていきたい。