【ラグリパWest】 酒とラグビーと番長とブログ。中村直人(株式会社なおかつ代表取締役)
キャップ20を得たジャパン時代にもお酒にまつわる思い出はたくさんある。
1999年6月5日、フィジーに現地で9-16と敗れる。試合後、番長ほか2人と1軒しかない韓国焼肉に出向く。
「すぐにアメリカ戦がありました。それで、切り替えや、とポジティブなノリでした」
ただ、ノリはどうあれ、スクラムを組み過ぎて痛点などが鈍くなっているフロントロー4人が気合を入れて飲めば、大変なことになる。店のものは飲み尽くし、有り金をテーブルの上に出し、追加を買いに行かせた。そのうち、肉の脂身が黄色く見えだした。
「僕は黄色に見えていたけど、番長は違う色に見えていたかもしれません」
べろんべろん。脱いだり、人を無理にプールに誘導した後、眠る。目を開けるたびにベッド上でリターンしたものが近づいてくる。
「次の日、船に乗っての島巡りがありました。全部、魚のえさになりました。何が揺れてるかようわからへん状態でした」
1週間後、ハワイ・ホノルルで行われたアメリカ戦は47-31で勝つ。結果的に見れば、この酒盛りは正しかったことになる。
1998年12月、タイ・バンコクであった第13回アジア競技会でも、しでかした。
選手村には柔道の篠原信一や野村忠宏、野球では巨人に入団する高橋尚成がいた。
「彼らと一緒のところにおる、と思ったら、興奮してしまいました」
自分もそのレベルにいる、ということに気付いていない。高揚感にお酒が安いことも手伝って、へべれけになる。
そして、選手棟のエレベーターに向けて、水泳の飛び込みよろしくダイブする。「第一のコース」とあおったのは番長だった。
すぐさま自動小銃を持った警備兵が駆けつける。部屋に飛び込んで、ドアをロックした。当時の責任者がどんどん叩く。
「ナオトは今ここにおりまへんでー」
平尾誠二監督の口真似で逃げ切りを図る。
翌朝、責任者の元を訪れ、謝罪した。
「よく覚えていないけど、すみませんでした」
責任者はハグをして許してくれた。しかし、坂田正彰は「あれはない」。ナオトと番長を代表や所属チームで中央からリードしたフッカーは厳しかった。当然である。大会は決勝で韓国に17-21と敗れた。結果的に見れば、この酒盛りは間違っていたことになる。
得難い経験を重ね2002年度を最後に現役引退する。11シーズンを過ごし、全国社会人大会(トップリーグの前身)、日本選手権で3回ずつ優勝を果たした。翌年度から5シーズン、コーチをする。横浜で1年間勤務した後、故郷に帰り、事業を継承した。
一昨年から大学OB会「同志社ラグビークラブ」の理事長になった。老若が集まる組織の実質的なかじ取りを任されている。
今季の同大は関西リーグで4勝2敗。天理大の4連覇を許したが、4位以上を確定させ、3大会ぶりの大学選手権出場を決めた。
「現役たちは一生懸命やってくれています。セットプレーやフィットネスなどベースとなるところを鍛えてくれていますよね」
丸い顔、目じりが急降下する笑顔は、半世紀を生きた今も変わらない。そのかたわらにはアルコールがあり、ブログもある。
息子2人もラグビーマンとして育った。長男・拓磨も同大卒。今年からJ SPORTSで働いている。次男・優吾は同志社高1年生だ。
「すべてラグビーのお蔭です。生かしてもらっています」
これからも同じ思いで生きて行く。
【なおかつHP】 http://naokatsu.com/