コラム 2019.09.19
【大野均からのメッセージ/その3】 オレたちの南アフリカ戦。

【大野均からのメッセージ/その3】 オレたちの南アフリカ戦。

[ 中川文如 ]

 それはさておき、厳しい管理体制は、エディーへの反発心も込みで選手の結束を高めていく。一方、W杯を知る名将の準備は緻密なうえに緻密で、間違いなくジャパンを導いた。
 対戦相手の分析は、開幕の2年9カ月前にグループリーグの組み合わせが決まった時から始まった。
 エディーはまず、対戦する4チームを2種類に大別したという。「南アフリカとスコットランドはセットプレーが強くて、ストラクチャーからのアタックが得意。サモアとアメリカはアンストラクチャー。こぼれ球に反応し、自分たちのアタックを繰り出してくる。その二つのスタイルに分けて戦術を練り上げた。W杯が近づいてくると『今日は対スコットランドに特化した練習を』と、より中身が特化していった」

 カーワン時代、二つの戦い方を準備することはなかった。「エディーさんはコーチとして何度もW杯を戦ってきた。W杯を知っている人だった」
 南アフリカとの初戦を担うレフェリーを宮崎合宿に呼び、笛の特徴を見極めつつ、日本のスクラムの強さを印象づけるひと工夫もあった。そうやってエディーはピッチ内の準備を抜かりなく詰めていった。

 選手たちは、メンタルに影を落とすさまざまな要素をプラスに転化した。
 2016年からスーパーラグビーへの参戦が決まっていたサンウルブズの在り方を巡り、エディーは周囲と対立していた。それは進退問題に影響し、W杯を最後に日本代表から退くと事前に決まっていた。心身ともに極限まで追い込むことでチームを成長させてきた手法は、選手のストレスを極限まで増幅させてもいた。
「W杯が終われば、もう、エディーさんに会わなくていいんだと」。大野は冗談めかしつつ、大会直前の心理状態を振り返る。「W杯で勝って、気持ちよくエディーさんを送り出そうというのはもちろん、もう、このW杯は自分たちの、選手たちのものなんだと。だからこそ、悔いを残さないように、やりきろう。そんな吹っ切れた心境になれた」

 あの南アフリカ戦前日には予期せぬ出来事があった。試合に出られない主将として屋台骨を支えてきた廣瀬俊朗が、惜しくもW杯メンバーから落ちた仲間、トップリーグでしのぎを削ってきた仲間からビデオメッセージを集めてミーティングで流したのだ。
「熱い言葉を贈ってくれるヤツもいたんだけど、露骨に笑いを取りに来るヤツも多くて。みんなで大笑いして、じゃあ、明日はガンバロー、みたいなリラックスした雰囲気になって」
 大野が経験した過去2大会とは明らかに違った。悲壮感がない。ちょっと緩すぎないか? 自らの発言で雰囲気を引き締めようとした大野は、寸前で思いとどまった。
「結局、フランス大会でもニュージーランド大会でも結果は出せていない。だったら、こういう明るい雰囲気のまま南アフリカ戦に臨むのも、ありなんじゃないかって考え直したんです。それが大正解だった。過去のW杯とは違って、変に萎縮せず戦えた理由の一つになったなと、いまにして感じます」

 世界一厳しいと言われたほどの練習を重ね、それでも南アフリカに70、80点を取られて負けたら、もうこの先、日本がW杯で勝てる日は来ないんじゃないか。何度も抱いてきた不安は、試合当日を迎えたら、不思議と消えていた。
「開き直りみたいな覚悟が決まってピッチに出ていけた。よく覚えています」
 大野が立ち会った2度のW杯、しめて8試合ではたどり着けなかった境地だった。
 やりきる。その一点のみに、選手の心と体は収斂されていた。
 2015年9月19日。場所はイングランド南東部に位置する地方都市、ブライトン。相手は巨人、南アフリカ。
 決戦の幕が上がった。

2015年W杯の南アフリカ戦、相手のラインアウト後、次の動作に移る大野均(Photo: Getty Images)
中川文如
【筆者プロフィール】中川文如( なかがわ ふみゆき )
朝日新聞記者。1975年生まれ。スクール☆ウォーズや雪の早明戦に憧れて高校でラグビー部に入ったが、あまりに下手すぎて大学では同好会へ。この7年間でBKすべてのポジションを経験した。朝日新聞入社後は2007年ワールドカップフランス大会の現地取材などを経て、ラグビー担当デスクに。2019年ワールドカップ日本大会は会社に缶詰めとなり、数々の名場面を見届けた。ツイッター(@nakagawafumi)、ウェブサイト(https://www.asahi.com/sports/rugby/worldcup/)で発信中。好きな選手は元アイルランド代表のCTBブライアン・オドリスコル。間合いで相手を外すプレーがたまらなかった。

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