【ラグリパWest】初心者の星。 福田大河(大阪府立寝屋川高校)
寝屋川の学校設立は1909年(明治42)。女学校として始まった。1948年(昭和23)の学制改革の時に、男子校だった四条畷(しじょうなわて)と生徒や教員をやり取りし、男女共学になる。愛称は「ねやこう」だ。
府内の学区は撤廃されたが、昔の9学区制では第4学区にあたり、偏差値は四条畷に次ぐ2番。公立進学校のひとつである。大阪から京都へ北東に伸びる京阪電車の寝屋川市駅から歩いて5分ほど。立地もよい。
ただ、福田の自宅、兵庫県との境にある西淀川からは遠い。通学には自転車、JR、京阪の3つを使い、1時間以上かかる。
「学校は何も考えていませんでした。塾の先生の知り合いに『いい学校やで』と言われたので決めました」
ラグビー選択も特に深い意味はない。
「坂根に『やらんか』って言われました。それで、体験入部に行きました。好きなように走れるのがよかったです」
現主将の坂根涼真が誘う。野球は4つのベースに沿って走らなければならないが、ラグビーは違う。自由さが心地よかった。
ラグビー部の創部は共学化と同じ1948年。今年72年目を迎える。
冬の全国大会府予選の決勝にはこれまで2回出ている。49回大会(1970年)は浪商(現大体大浪商)に3−31。翌50回大会は興国に8−11。半世紀前は全国レベルだった。
福田のセンスを高く評価したのは湯浅大智だった。昨秋、監督をつとめる東海大大阪仰星は、この合同チームと練習試合をした。
「彼はFBをやっていたのですが、相手が抜けてくる瞬間にディフェンスに上がるタイミングが絶妙でした。感動しました」
グラウンド全体を見渡す能力は外野手として野球から得た。50メートル走6秒2の「スピード」や相手を仰向けに倒す「タックル」などを挙げて、湯浅は続けた。
「野球上がりで身体能力の高い子はこれまで何人も見てきました。でも彼は違った。このまま埋もれさせてはいけない、と思いました」
日本協会のリソースコーチである野澤武史らに話を通す。福田は昨年12月、2泊3日での第4回TID(Talent Identification=人材発掘・育成)キャンプに召集された。
それが、この6月の高校日本代表の候補合宿につながっている。
仰星の冬の全国優勝5回すべてに選手を含めて関わっている湯浅は振り返る。
「顧問の先生方がサイズのある初心者にも関わらず、フォワードでなく、バックスをやらせてくれたのもよかった。これは財産です」
福田は182センチ、78キロ。顧問の中西はWTB、水野はCTB。固定概念は持たなかった。
進路は、関東の名門私大の推薦入試をラグビー絡みで受ける予定だ。
「今は充実しています。勉強もしなあかんけど、部活もする、っていうのが、高校生をしているって感じがしています」
寝屋川は定時制があるため、完全下校は午後6時。平日の練習時間は1時間半ほどだ。帰ってから毎日3時間は勉強に費やす。理系。好きな科目は数学だ。
「論理的展開をしっかりしていれば、ひとつの答えが出てきます」
魅力を感じるのはもの作り。将来は冷蔵庫などのいわゆる白物家電の開発に関わりたい。その希望を満たし、かつ屈指のラグビー部を持つパナソニックには親しみがある
「本社を見て、かっこいいって思いました」
そのビルは通学途中の門真にある。
高校最後、99回目となる全国大会の府予選は9月に始まる。福田は目標を言う。
「予選突破ですね」
所属する合同Hは、まず3チームによるリーグ戦を戦わねばならない。
■9月8日(日)上宮(11時10分開始、門真西グラウンド)。
■9月23日(祝月)淀川工科(10時開始、淀川工科グラウンド)。
連勝すれば、11月にBシードの大産大附と第2地区の8強戦を戦う。
「楽しいです。違う学校と絡めますから」
そう評した合同チームでの日々。有終の美を飾るためにも、福田の奮闘は不可欠だ。そして、それは自身のこれからのラグビーにも密接につながってゆくことになる。