【ラグリパWest】久住ラグビー合宿を受け継いだ男。 後藤慶多
後藤はこの大分県で生まれ育った。
大分雄城台(おぎのだい)のラグビー部時代にこの研修センターで合宿をした。
明治大を選んだ理由を話す。
「自由な感じがありました」
同期の主将はセンターの高野彬夫(あきお)。社会人ではクボタで活躍した。
部では大分雄城台は少数勢力。直系の先輩はいなかった。そのため、東福岡や日向(ひゅうが)など、久住での合宿経験者が「会」のようなものを作ってくれる。ごはんを食べに連れて行ってくれたりした。
「不安がかなり取れました。同じところで合宿をしただけなのに、ラグビーのつながりの強さを感じました。あれがなかったから、クラブをやめていたかもしれません」
2年の時に八幡山の寮が新装され、現在の建物になる。各学年で構成された8人などの大部屋を知る最後の世代だ。下級生は同部屋を含めた上級生のリクエストに応えなければならない時代だった。
「あの頃は、精神的に鍛えられました。いい思い出です」
元々細い目がなくなる。表情は緩む。
就職はJTB。旅行業界を選んだ。勤務地は地元の大分。いわゆるUターンになった。学校への営業などをこなす。
実家は青果店。いずれは家業を継ぐことも視野に入れていた。
帰郷をしてから、久住には顔を出していた。鷲司には声をかけていた。
「なにか手伝うことありませんか」
自分としては恩返しの一環だった。
「ラグビーをしていないと大学に行けていません。ラグビーがあるから今の僕がある」
やがて、鷲司から声がかかる。
「やってみらんか?」
退職し、有限会社「久住スポーツ研修センター」の代表取締役に就任した。
高校生の世話に明け暮れる中で、指導者たちにその名前が徐々に浸透していく。
御所実監督の竹田寛行は評する。
「頭が柔らかいですよね。スマート。鷲司さんが作ったものをしっかりと継承しています。僕ら還暦に近い世代ももちろんだけど、30代や40代の若い監督たちからも慕われている。新しい時代を作っていますね」
後藤は冬の全国大会で準優勝3回の記録を持つ名将からの信任も厚い。
後藤は久住の未来を見つめる。
「高校ラグビーのために存在し続けること。それが一番大切だと思います」
引き継いだものを磨き上げながら、これからの高校生たちのために生きる。
その精神の根底には、明治大元監督の北島忠治が作った部訓「前へ」がある。