【ラグリパWest】ゲットは楕円球から人材に。 舛尾敬一郎(株式会社カナモト)
10年ほど前、アパレルのワールドはラグビー部を持っていた。
所属したキャップ保持者は15。
日本代表入りこそなかったが、黙々とタックルを続けるフランカーがいた。
舛尾敬一郎は今、カナモトにいる。
主業はパワーショベルやブルドーザーなど建設機械の企業へのレンタルだ。
「いい会社です。上司が親身です」
共同して働く土木現場が近いため、社内にも一体感が生まれやすい。
褐色の肌、笑うとなくなる細い目、迫らない話し方は同じ。現役時代、182センチ、90キロだった体型は45歳になっても崩れない。濃紺のスーツは背丈にぴったり合う。
舛尾は人事部にいる。肩書は課長代理。主に新卒採用に携わっている。
「学生を含め、いろいろな人に会えて楽しいです。同時に責任も感じます。自分の話でここに決めてくれる子たちもいますから」
2018年1月、転職した。
初年からリクルートを担当する。今年4月の入社は99人。関西の有力チームからは、関大の主将だった西勇樹、同大の有賀亘、京産大からは豊田秀介が加わった。
カナモトにラグビー部はない。
「体育会というくくりで採用しています」
設立56年目。関連会社を含めた従業員数は3000を超える。中国など海外7か国を含めた事業拠点は503。本社は北海道の札幌だが、勤務先は大阪中央営業所だ。ユニバーサルスタジオジャパンのすぐ近くにある。
「西日本はまだ攻めきれていません。名前を広げていくためにも、いい人材が必要です」
ラグビーでのコネクションは生きる。
「僕らの世代がコーチやスタッフになっていて、すぐに話をつなげてもらえます」
大学選手権9連覇の帝京大にも足を運んだ。
「岩出先生から、おお、おまえか、と声をかけてもらえました」
大分舞鶴では2年から高校日本代表候補だった。その1991年度のコーチが当時、八幡工で監督をつとめた岩出雅之だった。
自身の現役時代の特徴を話す。
「タックルと密集とサポートでした」
密集とは、ラック、モールに参加して、そこでボールを確保したことを意味する。
競技歴は小1から中3まで大分ラグビースクール。高校では1年からフランカーでレギュラーになり、3年連続で花園に出た。
思い出に残るのは3回戦に進出した2年時の71回大会(1991年度)だ。
「天理に勝って、高校ジャパンの候補合宿にも呼んでもらえました」
初戦は函館稜北を52−0。2回戦で全国優勝6回の天理を6−0で下した。8強を前に目黒(現目黒学院)に8−29で敗れた。
前後の70、72回大会は2回戦負け。3−10で東海大相模、12−41で大阪工大高(現常翔学園)だった。最終的に高校日本代表には選ばれなかった。