日本代表 2019.02.26

空手少年が弾丸ラグビーマンに。木田晴斗、初の代表関連活動参加で殻を破る。

[ 向 風見也 ]
空手少年が弾丸ラグビーマンに。木田晴斗、初の代表関連活動参加で殻を破る。
木田晴斗。写真は立命館大の一員として臨んだ第55回全国大学選手権3回戦から(撮影:松村真行)

 左タッチライン際でパスをもらうと、木田晴斗は待ち構えていた防御網を突き破る。インゴールへ飛び込む。勝負のステージで、持ち前の馬力とフットワークを活かした。2月19日、東京・栗田工業グラウンドでのことだ。

 将来有望な選手の発掘を進める「TIDキャンプ」に参加していた。17日に始まったこの合宿では、3月に活動するジュニア・ジャパン、翌年度に動く20歳以下(U20)日本代表のメンバーが選考される。

 立命館大での活躍から関西学生代表にも選ばれた木田は今回、初日、2日目こそやや受け身になっていた様子。合宿3日目となる19日の朝、今年のジュニア・ジャパンとU20日本代表を指揮する水間良武監督は木田に声をかけたという。

「初日、2日目は、関西学生代表の試合を観に行った時に出ていたよさが出ていなかったようです。(本人は)『ちょっと緊張してる』って。ボールを全然、もらえていなかったので、どうしたらボールをもらえるか、どこにチャンスがあるのかという話をしました。それに、恭平(森田恭平アタックコーチ)も淳(手伝いに来ていた元サンウルブズアシスタントコーチの田邉淳氏)も一緒に(サポートを)してくれてね」
 
 おかげで木田は、その日の午後の実戦練習で光ったわけだ。最終日の20日も、試合形式のトレーニングで豪快なカウンターアタックを披露する。直近のブレイクぶりを知る者に、こう伝えるのだった。

「(首脳陣からは)いろんなところでボールタッチをするように言われていて、そこを意識しました。強みを出さな、アピールできないんで。(すべての年代を通して)初めての代表合宿だったので、2日目まではまだちょっと緊張があって。ただ、もっと自由にやろう、楽しもうということだけを考えたら、少しはよくなりました。大学と一緒のような感じです」

 吹っ切れて力を発揮すれば、十分に存在感を示せる。その手ごたえなら、自ら話すように「大学」でもつかんできた。

 全国大会とは無縁の大阪・関西大倉高にいた頃、人づてに立命館大ラグビー部の練習に参加。受け入れた中林正一監督によると、「最初のうちは…だったのですが、『もう一回、攻撃側に入らせてください』『自分がボールをもらうサインプレーをしてください』って」。実質的なセレクション会場で粘りに粘り、情報理工学部のスポーツ推薦枠を勝ち取った。秋には関西大学Aリーグの全7試合にWTBとして出て、6トライを決めた。

「特にアタックで、リーグ戦を通して成長できました。まずはU20に行って、(国内最高峰の)トップリーグ、日本代表を目指していきたい」

 身長175センチ、体重84キロで下半身が図太く、タックルされても簡単には倒れない。幼少期は、国際空手連盟が主催する年齢別世界大会で優勝したこともあるという。年齢が異なるため直接対決こそなかったものの、そこには後にキックボクサーとなる那須川天心も出ていたようだ。

 小学4年時に楕円球と出会った木田は、受験して入った私立の関西大倉中で自らラグビー部を作った。時間をかけて約20名の部員を集め、3年時に公式戦で勝てたことを思い出とする。内部進学したのは、中、高のラグビー部を指導する土井川功監督に恩返しをするためだった。エリートと呼ばれる他の選手と異なる道を歩いたから、立命館大で台頭した時は「原石発見」とユニークな注目のされ方をした。

 自分が生きたいように生きた結果、木田は国際ラグビー界への挑戦状をつかみかけている。

「格闘技をやっていたので、身体をぶつけるのが怖いというよりも楽しいと感じていて。自分に向いていると思いました。小5くらいで空手の大会に出るのをやめて、中1くらいでラグビーに専念しました。身体を当てることだけじゃなく、相手を抜くことにも楽しさも強く感じて」

 21歳以上の選手も混ざるジュニア・ジャパンは計28名で編成され、3月にフィジーでのパシフィック・チャレンジに挑む。環太平洋諸国の代表予備軍が登場しそうな大会に、元空手少年も参加できるだろうか。

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