【コラム】「ラグビーを好きでよかった」
「他者に寛容であること」を無意識的に表現するこの「○○ちゃん」本人は、仲間から受けた「インスピレーション」についてこう話した。
「確かにその後輩は、私を含めたチームメイトのことをよく見ていて、誰かがその日の練習中にしたいいプレーをさりげない会話のなかで褒めています。こうした相手への敬意が伝わっているのが大事なのだと思います」
相手の世界観に自分を立脚したり、相手のよさを探してそれを好きになることが「敬意」なのだとしたら、その後輩は確かに「○○ちゃん(当該選手のニックネーム)のことを尊敬している」のだろう。
最近、本物の「学校」の廊下の映像が物議を醸している。ここでは男性教諭が男子生徒をぶん殴り、倒れたところを掴み上げ、止めに入った他の生徒の手を振り払っている。動画では生徒が苛烈な暴言を吐いていて、撮影者(もしくはそれに近しい生徒)が予めインターネット上での拡散を狙っていたかもしれなかった。
当事者たちのキャラクターや関係性、教員不足をはじめとする現代の教育現場での諸問題などを脇に置いて考えれば、このニュースからは本稿引用箇所でいう「インスタントな感情」を受け取ってしまう。無配慮に動画の隠し撮りを試みた側は稚拙かもしれないし、未成年の人物へ逆上する側も少し落ち着きが足らなかったような。各種報道では「生徒への体罰は悪かもしれないが、この青年は生徒ではないからやむなし」との論調も強まるが、互いの(もしくはどちらか一方の)「敬意」が前提にあれば人が人をあんな風には殴るまい。
ラグビーに生きる人も神ではないし、拳を振り上げたことのあるラグビー選手だってゼロではない。もっとも、さまざまな働き場のあるラグビーが相互理解の心を育むのは、先人の言葉に証明されている。「ラグビー精神が万事を解決する」と言い切るのは早計だろうが、「あの動画に映った人たちはラグビーを観たことがあるのかな」と想像するのはそこまでおかしくなさそうである。
いつだったか。尊敬する先輩の1人から「読者がラグビーを好きでよかったと思える原稿を」と激励していただいた。その時の文脈とは無関係かもしれないが、今度の動画からラグビーを思い出したことで「ラグビーを好きでよかった」と再確認できた。