コラム 2018.10.12

みんな大好き「男・木津武士」。

みんな大好き「男・木津武士」。
日野×神戸製鋼の試合前にトークショーに出演する日野の木津武士
 木津武士は残念だった。
 10月7日、前所属の神戸製鋼との初めての公式戦に出られない。
 足のケガが癒えなかった。日本代表キャップ44を持つフッカーは、濃いグレーのチームスーツに身を包んだままだった。
 現所属の日野の戦いを見守る。生まれ育った大阪はキンチョウスタジアムである。
「出て、プレーしたかったですよ」
 183センチ、115キロの大きな体からは、悔しさがにじみ出る。古巣に身をもって成長を示す機会を失った。
 プロ選手の木津は今春移籍した。神戸製鋼では東海大卒業後7シーズンを過ごした。
 この日のスコアは10−74。日野は初めてトップリーグに昇格した洗礼を受ける。失点は今季リーグ最多、得失点差はタイになる。
「完敗でした」
 監督の細谷直は言葉を絞り出した。勝ち点は6のまま。第5節を終わってレッドカンファレンスで下から2番目の7位に沈んだ。
 木津はその強さに驚く。
「神戸は、めちゃめちゃうまくなりましたね。オフロードも今日は全部通っていた」
 タックルに入らせておいて、ディフェンスの足を止めパスをつなぐ。日野は守りの焦点を絞り切れなかった。
 木津が負傷したのは9月15日。リーグ3戦目のトヨタ自動車戦だった。前半33分に退場する。試合は14−36で敗北した。
 受傷時は松葉づえを使うほど重かった。
「今は普通に歩けるようにはなりました。でもまだ復帰までは…」
 神戸製鋼のナンバーエイトである谷口到もまた、対戦を望んでいた。
「試合、やりたかったですねえ。今日を楽しみにしていたんですが…」
 日本代表キャップ10を持つ4歳上は、「イタルさん」と慕われている。この試合では後半13分に交替出場した。
 谷口は元チームメイトの高評価も話す。
「ヤンブーは『あいつがいたらスクラムも、もう少し変わっていたやろうなあ』って言ってました。僕も接点のところが違ったんじゃあないかなあと思っています」
 ヤンブーは右プロップの山下裕史。木津とは前回、2015年のワールドカップでもスクラムバインドを固めた盟友である。
 試合の前後には、神戸製鋼の選手やスタッフたちがあいさつにやって来る。
 韓国人ロックの張碩煥(ちゃん・そくふぁん)、髪の毛を緑色にしたウイングの山下楽平、トレーナーや通訳…。
 去就にあたり、討論を重ねたチームディレクターの福本正幸も握手を求めた。現場トップの方から「キヅくん」と声をかけた。
「あいつ、ええやつなんよ」
 東海大仰星高時代の恩師・土井崇司は言う。
 印象に残っている出来事がある。前回のワールドカップだ。土井は南アフリカからの34−32の金星を現地で目撃する。試合後、祝福のためスタンド最前列まで降りて行った。
「気がついたら、あいつが横におった。来てることは教えてなかったのにね。そういうことが普通にできるやつ。一緒に肩を組んで写真を撮りました。額を切ったみたいで、血と汗と、それにうれし涙がにじんでいた」
 谷口も目じりを下げる。
「あいつ、ごっつい可愛いんですよね。うん、可愛い。憎めない。今でもLINEや電話をしますし、会ってもいます」
 茗渓学園から筑波大に進んだ関東人から、関西弁の「すごい」にあたる副詞が飛び出す。愛情の深さが伝わる。
 9月29日には元チームメイトの新井慶史の結婚式があった。式の後、酒を酌み交わす。
 木津は東京での日々を気に入っている。
「ラグビーはもちろんですが、それとは関係のない人たちとのつながりも大切にしています。所属チームが倍になれば、知り合う人も倍になりますから」
 グラウンドのある日野市から離れ、杉並区に家族4人で暮らす。都心に出るのには都合がよい。移籍をラグビーのみならず、出会い、そして人間磨きの好機ととらえている。
「あいつは本物のプロやね。昔から覚悟を持って生きていた」
 土井は、ラグビーをするために入学して来た木津を忘れない。
 東大阪の小阪中では相撲で有名だった。元貴乃花親方が独立して貴乃花部屋を作る時、初弟子として勧誘に訪れたほどだった。
「あの世界に行ったとしても、相当な位置におったやろね。でも、先の見える相撲ではなく、おもしろさだけでラグビーに飛び込んだ。『日本一を獲ります』って言ってね」
 その言葉を実現させる。
 高3時の第86回全国大会(2006年度)で、東福岡を19−5で破って優勝する。同校にとっては7大会ぶり2回目の頂点だった。
「日野では、チームも僕もより上のレベルにチャレンジができます。それが移籍理由でもあります。今は楽しい。やりがいがあります」
 現在30歳。どのポジションよりも経験――組んだスクラムの数――がものを言うフロントローとしては、まだまだ良化できる。
 栄光のワールドカップ戦士のひとりとして、来年、この国で行われる世界大会では連続出場も成し遂げたい。
 木津は安定を捨てた。
 とどまるよりも匍匐(ほふく)前進を選んだ。「武士」の名前の通り、サムライらしく生きる。視界不良の将来をとった高校時代と同じだ。
 その選択の正しさを再び証明するために、日野と自分をより高めていく。
(文:鎮 勝也)

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