コラム 2018.09.06

ラグビーに見る尊敬の仕方。ロビー・ディーンズとフラン・ルディケ

ラグビーに見る尊敬の仕方。ロビー・ディーンズとフラン・ルディケ
ロビー・ディーンズ(左)とフラン・ルディケ。どちらもスーパーラグビーを制したことがある名将
(Photo: Getty Images)
 パナソニックとクボタは、創業と縁の深い大阪を本社所在地にしている。
 8月31日、長居のキンチョウスタジアムでのトップリーグ開幕戦は死闘になった。
 凱歌を上げたのは青色のジャージー。オレンジを15−11と4点差で振り切る。
 試合後、ロビー・ディーンズは問われた。
 今日は、あなたを尊敬するヘッドコーチのチームに勝ちました。今の気分は?
「まさに、それがラグビーのよさです」
 今年59歳になるパナソニックの監督は、半月のように口を広げ、笑った。
 破顔したまま、クボタのヘッドコーチ(監督)、フラン・ルディケを語る。
「彼はブルズで2回優勝してくれました。私は彼からごほうびをもらいました」
 ディーンズからの教授を参考に、9歳下のルディケは、2009、2010年にスーパーラグビーを連覇する。「ごほうび」という表現には、祝福とともに、自分の教えが実になったよろこびが込められている。
 2000年から9年間、ディーンズはクルセイダーズのヘッドコーチだった。
 ルディケは、生まれ育った南アフリカからニュージーランドへ飛ぶ。
「彼には感銘を受けました。私に、チームのすべてを見せ、解説してくれました」
 最先端の施設やコーチングの内容など、最高機密をおしみなく他国のライバルに提供する。使った英単語は「EXPOSE」。ルディケにとってはまさに「暴露」だった。
 この開幕戦では、ルディケは日本語で言う「恩返し」に失敗した。
「攻め込んだけれども、攻め切るところまではいきませんでした」
 サヨナラ逆転のトライには、わずか数メートル及ばなかった。
 ただ、ルディケが指揮したこの3季では、もっとも競った対戦になった。咋季の開幕戦は21ー45、その前は25−34。
 トップチームとの差は縮まる。
 パナソニックには修羅場の数、言い換えれば経験値に一日の長がある。
 ディーンズ就任後の4季の最低成績は3位。これまで、サントリー、ヤマハ発動機などと社会人の頂点を見据え、力を振り絞る。
 ルディケ体制のクボタは11位と12位。しびれる戦いの絶対数が不足する。
 パナソニックは、サンウルブズや日本代表の中心であるHO堀江翔太、PR稲垣啓太をベンチスタートさせた。
「まずは、試合に飢えている選手を使いたいんです」
 ヘッドコーチの相馬朋和は説明する。
 ベテラン2人が投入されたのは、15−11と追い上げられた後半10分。フィットネスはありあまり、試合勘は冴える。最後にクボタの12人モールをゴール前で止めた。
 このフロントローたちを控えに置けるパナソニックの層の厚さ、そして、ディーンズの老練さが浮かび上がる。
 クボタは、ルディケと母国を同じくする新加入選手が躍動する。
 代表キャップ40を誇るNO8ドゥエイン・フェルミューレン、CTBバーガー・オーデンダールは縦へのスピードと強さがあった。
 25歳のオーデンダールは、ルディケが2008年〜2015年まで8年に及ぶブルズのヘッドコーチ時代に育成をかけた。
「彼は非常に状況判断がいいです」
 この2人は突貫できる場所を増やした。
 開幕戦後の記者会見でディーンズの通訳は国際・企画担当の村上泰將だった。
「ロビーさんは、どんな人間でも包み込むような優しさがある。包容力が違います。こんなコーチに会ったことはありません」
 村上は2003年のワールドカップで日本代表の通訳だった。経験、物腰、日本語の豊富さなど、トヨタ自動車の中澤ジュリアと並び、ラグビー界では双璧である。
 愛称「ヤス」は続ける。
「毎年、シーズン終わりには10近いコーチのオファーが来る、と聞いています」
 2001年から3年間はニュージーランド代表のアシスタントコーチ。2008年、オーストラリアから代表ヘッドコーチの就任を打診される。「永遠のライバル」である隣国のために5年間、心血を注ぐ。そして、この国に来る。
 その履歴や人間性を慕い、コーチの申し出があとを絶たない。波風立てずに断るため、代理人を置いている、という噂もある。
 ルディケは、2002、2006年のキャッツ(現ライオンズ)時代を含め、スーパーラグビーの10年間で、ヘッドコーチとして歴代最多の149試合を過ごした。代表チームには、2000年に母国、2015年にはフィジーにアシスタントコーチなどの肩書で携わる。
 元々は教員である。
 絵画や土木を担当した。普段の些細な行動に教育者がにじみ出る。雨中のアップでも傘を差さず、濡れるのをいとわない。選手との一体感が醸し出される。
 ルディケは開幕戦のアップ直前、北側のインゴール裏にひとりで立ち、緑の天然芝からスコアボードへゆっくりと視線を動かした。
 何を見ているのですか?
「ああ、グラウンドをね」
 口元を緩める。人を引き寄せるたたずまい。開幕、そして優勝候補に挑む直前とは思えないほどの穏やかさだった。
 記者会見やミーティングが終わってから、ルディケは対極にあるパナソニックのロッカールームへひとりで向かった。距離約100メートル。祝意を述べるためである。
 この日、日本でも忘れえないディーンズへの謝意を改めて行動で示した。
 築き上げてきたものを惜しみなく伝えた上で、さらに理論や方法を高めていく。
 それが、自分自身の成長とラグビーの発展につながると信じる。
 与えられた側にも忘恩はない。
 国籍や勝敗とは無関係。輝くばかりの生きざまが、このトップリーグにはある。
(文:鎮 勝也)

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