国内
2017.11.15
先生に恩返しを。桐生第一・梅澤流馬の願い。
桐生第一の霜村誠一監督(左)と梅澤流馬主将。(撮影/多羅正崇)
恩返しがしたかった。
桐生第一で主将を務めたCTB梅澤流馬の願いは、しかし届かなかった。
第97回全国高校ラグビー大会の群馬県予選決勝が11月11日、群馬県の敷島公園サッカー・ラグビー場であり、明和県央が44-7で桐生第一を降して2年ぶり7度目の花園行きを決めた。
明和県央の充実ぶりが目立った。前半は風下に立ちながら、規律正しいディフェンス、激しいブレイクダウンワークで攻撃権を奪った。
LO中野陽介キャプテンを中心に機動力あるフロントロー(PR佐藤良洋、HO熊谷哲勝、PR河村龍成)、そしてCTB齊藤拓也を軸としたバックス陣では、身長184センチのCTB石井龍二らのボールキャリーも光った。
指揮官の成田仁監督が「このチームのベストゲーム」と語った計7トライの快勝劇。東京農大二高の前に夢破れた昨季決勝の雪辱を果たした。
破れた桐生第一にとっては、チーム史上初の花園予選決勝だった。
チャレンジャーが一矢報いたのは後半20分。SO齊藤誉哉がビッグゲインをすると、SH東皓輝が素早く右へ持ち出し、最後はCTB梅澤主将が右中間に滑り込んだ。
チーム初となる花園予選決勝でのトライだった。
「最後は気持ち、魂で取ったトライだったと思います」
そう振り返るCTB梅澤主将の目が赤く腫れていた。
試合後に行われた表彰式の最中も、溢れるものをこらえられなかった。涙の理由はハッキリしていた。
「ずっと前から決勝に懸けていました。それで負けてしまったという悔しさと、先生に恩返しできなかったという想いです」
桐生第一の「先生」は、パナソニック ワイルドナイツ(旧:三洋電機ワイルドナイツ)で12年間プレーした元日本代表の霜村誠一監督だ。
トップリーグ通算102試合に出場し、2007年度から4季連続でベストフィフティーンを受賞。そんな群馬・桐生市出身のスターが桐生第一の教員になったのは、2015年春のこと。梅澤主将らの代が新1年生として入学した年だ。
桐生第一は昨年9月、ニュージーランドのバーンサイド高とラグビー選手の強化を目的とした友好協定を締結。
霜村監督との縁から実現したもので、この協定に先立って、同年3月から約5か月間にわたり同校へラグビー留学をしたのが、CTB梅澤主将だった。
「プレー面もそうなのですが、人間的にもひと回りもふた回りも大きくさせてもらいました」
その人がいなければ、果たして5か月間もラグビー最強国でプレーする経験ができていたかどうか。
「キャプテンもやらせてもらいました。花園に出て、先生に恩返しをしようかなと考えていたので……。それができなくて、悔しいです」
語るうち、梅澤主将の表情がまた崩れた。
決勝戦の表彰式後。準優勝校の賞状を手にした梅澤主将は、ピッチサイドに出たところで突然崩れ落ちた。そこへ霜村監督が歩み寄る。抱え上げられた梅澤主将は、差し出された「先生」の手を握り返した。
CTB梅澤主将は高校卒業もラグビーを続けるつもりでいる。
志望する大学は、もう決まっている。
「関東学院大学です」
霜村監督の母校で、これからもラグビーを続けたい。
恩返しのチャンスなら、きっとこれから先もずっとある。
(文/多羅正崇)