国内 2016.10.30

反骨心で重ねた。宗像サニックス、杉浦敬宏が「100」に到達できた理由。

反骨心で重ねた。宗像サニックス、杉浦敬宏が「100」に到達できた理由。
「ラグビーはひとりではできないと、あらためて感じました」。(撮影/松本かおり)
 優しげな目が印象的。いつも穏やかだ。ただ、気は優しくて力持ちというだけなら大台になんて到達できなかった。
 宗像サニックスブルースのPR杉浦敬宏が10月29日に秩父宮ラグビー場でおこなわれたキヤノンイーグルス戦で、トップリーグ通算100試合出場を達成した。入団11年目。チームが下部リーグに転落し、2シーズンをトップキュウシュウでプレーしながらの記録達成は価値がある。
「(100試合出場は)特別意識していませんでしたが、みんなが勝って祝福しようと言ってくれていたのが嬉しかった」
 新人の頃を思い出し、「こんなに長くプレーできるとは思っていなかったし、100試合出場なんて考えてもいませんでした」と笑う。ただ、その原動力については「エリートには負けたくない。その気持ちでしょうか」と話した。
 この日は5−35と完敗も試合後のセレモニーには家族も駆けつけ、和やかな時間を過ごした。節目のときにあらためて思ったのは、「ラグビーはひとりではできない」ということだ。
「ラグビーができる環境がなければ、こういう日も迎えられなかった。感謝すべき多くの人たちがいると思います」
 反骨心がラグビー人生を貫いている。
 岡崎城西高校、愛知工業大学と、強豪校でないところでラグビーを始め、続けた。若き日を支えたのも、負けじ魂だった。当時全国上位の実力があった西陵商に勝ちたい思いが自分を走らせた。東海学生リーグで、自分たちより部員が多いチームに勝って頂点に立ちたかった。
「高校3年のとき、西陵商と花園予選の準決勝で対戦しました。(26−45で)負けましたが、その年の予選で西陵商がもっとも多く失点する試合ができた。大学のときは、名城大が強かった時代です。そこに次ぐ2位でした」
 ブルースを率いる藤井雄一郎監督は、当時、名城大のコーチを務めていた。自分たちに立ち向かってくる杉浦のプレーと姿勢が目にとまった。それが縁でサニックスへの入団。チャンスを自分自身の力でつかみとった。
 他のトップリーグチームと比べるとラグビー強豪校出身者は少なく、叩き上げの選手ばかりのサニックスのチームカラーは自分に合っていた。
「エリートに負けたくない。そう思うチームでしかプレーしたことがないですから、いつも気持では負けたくないと思ってきました」
 他チームでは佐々木隆道(サントリー→日野自動車)や青木佑輔(サントリー)らが同期。
「同じ歳の人たちより先に引退したくないと思っています」
 チームのフロントローでは42歳の松園正隆に次ぐベテランになったが、まだまだよく走る。パスもうまい。相変わらず「動けるプロップ」としての価値を保ったままだ。
 しかし、それだけでは満足しない。
「よりセットプレーに重きを置いてプレーしようとしています」
 この日までの今季前半戦をチームが5勝4敗と勝ち越して終えることができたのも、これまで弱点だったセットプレー、ディフェンスに全員で力を注いできたからだ。この日は「キヤノンは強かった。完敗です」と潔く劣勢を認めたが、ベテランとして、このまま黙っているつもりはない。自分もまだまだ進化できる。若い選手の向上心もある。さらに、勝利を重ねることでチームには新たな欲求が生まれつつあるからだ。
 日本代表キャップ1を持つ。2007年のアジア3か国対抗、香港戦に途中出場を果たしたときに得たものだ。
「一度でも(ジャパンに)選ばれたからにはプライドがあります」
 33歳。身も心も、何も錆びついていない。

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