コラム
2016.09.26
2003年W杯成功の裏話 パースの人々とグルジア代表
2003年W杯豪州大会で、初出場のグルジアを熱心に応援したパースの女性(撮影:Kiyoshi TAKENAKA)
いまから13年前の話。当時、日本ではまだグルジアと呼ばれていた国の男たちがラグビーワールドカップに初めて出場した。かつてはソビエト連邦の一部だった、人口約400万人の小さな国だ。「レロ」というラグビーに似た民族スポーツが古くから存在し、ラグビーのナショナルチームがレロスという愛称で呼ばれるのはそのためだ。ライバル、ロシア代表との試合を首都トビリシで開催したとき6万人の観客を集めたこともある。
ラグビーワールドカップ2003オーストラリア大会への切符を手にしたグルジアだが、実は財政難により、大会参加が危ぶまれていた。なんとか出場を果たしたのだが、母国から大勢の応援は望めず、新参のレロスは大舞台で孤軍奮闘することが予想されていた。
そこで立ち上がったのが、レロスが拠点としたオーストラリア西部、パースの人々だった。非公式のグルジア・サポーターズクラブを作り、メンバーは一気に800人を数えた。サポーターズクラブの本部となった“Clancy’s Fish Pub”はグルジア色で彩られ、パブがあるスビアコには応援のフラッグがいくつも掲げられた。メンバー会費はひとり20ドルで、サポーターたちは「Georgia on my mind」というロゴが入った帽子やTシャツを身に着けて応援した。集まった会費はすべてチャリティーに使われ、半分は地元パースの病院に、半分はグルジアの病院に寄付されたという。
強豪のイングランド、南アフリカ、サモア、ウルグアイと初めて対戦したグルジアは、結局1勝もできなかったけれど、彼らの魂のタックルは観る者の胸を打った。2003年のワールドカップは、プール戦から決勝まで大いに盛り上がり、大成功。その裏には、グルジアのようなマイナー国も熱く応援した一般のオーストラリア人たちがたくさんいたからである。
いまはジョージア代表といわれるレロスは、世界ランキング11位のたくましいチームに成長した。昨年のワールドカップでは2勝をあげてプールCの3位となり、2019年大会の出場権をすでに手にしている。
今度は、日本でどんなふれ合いがあるだろうか。
ラグビーワールドカップ2019日本大会の開幕まで、あと3年を切った。来年5月にはプール組分け抽選会が京都でおこなわれる。
大会組織委員会は今年7月、東京、大阪、福岡で公認チームキャンプ地の応募に関する自治体向けの説明会を開催し、計160自治体が参加した。
試合は全国12都市で開催されるが、大会期間中にチームが滞在する公認チームキャンプ地は北から南まで40か所前後に及ぶことが予想され、まさに、日本全国を舞台にした大会となる。
いろんな自治体の担当者に話を聞くと、来てほしいチームで人気が高いのはオールブラックス(ニュージーランド代表)だ。しかし、自治体が公認チームキャンプ地に滞在するチームを指定することはできないため、組織委員会はすべてのチームを公平かつ平等に扱うこととなる。どの国の選手が来たとしても、温かく迎え、日本代表と同じくらい応援してもらえたら、きっと、その素敵な交流はレガシーとしてのこるだろう。
大会組織委員会の嶋津昭事務総長は、「この日本大会を通じて、日本の皆様にはラグビーの魅力やラグビーワールドカップの素晴らしさを、世界の皆様には、日本の良さや美しさを、伝えたい」と言った。
2019年は東京オリンピックの前年。オリンピックの話題が当然のように増え、ラグビーワールドカップが主役になれるかどうかはわからない。さらに、なでしこジャパンが出場する可能性が高い女子サッカーのワールドカップ(フランス)も同年におこなわれ、Bリーグ発足で盛り上がるバスケットボールのワールドカップ(中国)も、世界陸上(カタール)も、2019年の開催だ。
国民の目をラグビーに向けさせるのは容易ではない。しかし、ホスト国としてビッグチャレンジを成功させる責務がある。そして結束して、最高のおもてなしとサポートを。
オールブラックスもレロスも、もしかしたら初出場となる国の選手やファンが来日したとしても、「日本に来て良かった」「日本でラグビーワールドカップを開催して本当に良かった」と、心から思ってもらえるような祭典にしたい。
(文:竹中 清)
2015年W杯イングランド大会でトンガ代表を歓迎するチェルトナムの子どもたち(Photo: Getty Images)