コラム
2016.04.21
新生「伏見工・京都工学院」が始動
京都工学院の人工芝グラウンド
新生「伏見工・京都工学院」が進級や入学のオリエンテーションなどを終えた4月13日、始動した。
4月に開校した工学院の新入部員21人が初めて合同での練習に加わった。
伏見工の2、3年生部員58人が、京都市伏見区にある学校から自転車で移動する。東へ約15分。工学院は市中心部と山科を仕切る東山三十六峰の南端高台に作られた。移転した立命館中学・高校の跡地、建物を利用している。
グラウンドはこれまでの土ではなく、人工芝。周囲には光度の高いLED使用による10基の照明塔が立てられている。
伏見工には定時制があるため、午後5時30分での練習終了が義務付けられていた。しかし、工学院にその制約はない。午後4時から7時過ぎまで3時間、トレーニングを続ける。これまでの倍の長さだった。
新主将のSO奥村翔(かける)は目を輝かせる。
「ものすごいいいです。良すぎてなんも言えません」
施設は充実する。
自然環境保護の風致地区にあるため、新開発は難しいが、縦90×横70メートルのラグビー&サッカーグラウンドが完成した。芝はASTRO(アストロ)社製。地中には緩衝材となるパッドが埋められている。
伏見工教頭で統合チームのゼネラルマネジャー・高崎利明には感謝がある。
「かなり柔らかいんで脳震盪(のうしんとう)は起きひんやろね。学校側は予算を最初に持ってこず、要望を聞いてくれた。最初にお金ありきなら、パッドなんか費用がかかって敷けない。でもそうじゃなかった」
伏見工は今春、第17回全国高校選抜大会に出場。8強戦となる決勝トーナメントに進出するも、東京高校に28−33で敗れた。前半21−0と完勝ペースながら逆転負け。人工芝はその課題解消の役割を果たす。奥村は話す。
「選抜大会はディフェンスが甘くて負けてしまったけど、これやったら、痛くないから、なんぼでもタックルに入れます」
グラウンド脇には実習棟がある。その2階には35×25メートルのウエイトルームができている。コーチの大島淳史は感に堪えたように言う。
「伏見のウエイトルームはこれの4分の1くらいですから」
室内にはトップリーグの神戸製鋼などが使うHAMMER STRENGTH(ハンマー・ストレングス)ブランドのウエイトマシンが、伏見工のチームカラーの赤に塗られて並ぶ。スクワットなどは最低でも15人が同時にできる。オーディオメーカーのBOSS社製スピーカーからは流行の音楽が流れる。冷暖房も完備。監督の松林拓は微笑む。
「気合入りますよね。これだけのもんを作ってもらったんやから。今まで以上に僕らが腕を振るわんと」
工学院は伏見工と洛陽工が統合され、今春開校した。就職を主に考えるプロジェクト工学科と理工系大学への進学を目指すフロンティア理数科の2学科がある。
伏見工と洛陽工は新入学を停止。在学生はそのまま進級する。洛陽工にはラグビー部がないため、2年間のチーム表記は「伏見工・京都工学院」が使われる。
伏見工OBでもある指導陣はそのまま残る。6人すべて体育か工業の教員だ。現場の責任者は高崎。松林を補佐するコーチは大島、築山公彦、大下寛司。?橋健は工学院に異動、1年生指導に携わっている。
指導者は欠けず、設備は充実する。
それでも、高崎は伏見工のグラウンドを忘れない。毎週末にはチームごと戻る。
「山口先生があのグラウンドで僕らを鍛えて下さったから今がある。伏見はあそこから生まれた。だからあと2年、大事に使ってあげないと。いいグラウンドができたからって、ポンと変わるようじゃアカン」
総監督として今でもチームを見守る恩師・山口良治や学校への恩を忘れない。山口がラグビーを通じて、血気盛んな生徒たちを日本一に導く実話は、「スクールウォーズ」として書籍、テレビ、映画などで全国に喧伝された。
1960年(昭和35)創部のチームは半世紀を経て、全国大会優勝4回、出場20回を成し遂げた。神鋼GMの平尾誠二やパナソニックSHの田中史朗らを生み、日本ラグビーの源泉の1つになった。
グラウンドの端では、部員が腕立て伏せの姿勢で体幹トレーニングを続ける。崩れそうになると女子マネジャーが叱りつける。
「日本一になりたいんやろ! それやったら日本一の体幹をせなあかんのとちゃうの?」
部員は震えながら姿勢を続ける。
伝統は現役一人一人に息づいている。
グラウンド北側には京都を代表する食材、筍(たけのこ)を産する竹藪がある。西側は794年の平安京遷都以来、1200年以上続いてきた市街地を見下ろす。緑濃い風が古都に根差す市立高校に吹き抜ける。
そこにあるのは、トップリーグや大学顔負けの施設だ。
V5達成に向け、これ以上のロケーションはない。
(文:鎮 勝也)
トップリーグ並みのウエイトルーム