コラム
2015.12.27
仰星のおっかけ・谷山さん
まいどー、浪速のおっさんでっす。
師走もラストやが、みんな元気にしてるかー?高校ラグビーの時期がきたな。東海大仰星の高校3冠に注目が集まるな。それを心待ちにしてはる人がおる。
谷山榮一はんや。
自他ともに認める「仰星のおっかけ」。
「わし、このチームが大好き。礼儀作法はしっかりしてるし、チームにまとまりがある。熱いし。普通の高校生とは思えん『やんちゃくれ』が、ここへ来て3年間を過ごすと素晴らしい人間になる」
仰星の試合には必ず出没する。今年の春から故郷の宮崎に戻ったけど、夏の大分・久住や長野・菅平にも現れる。選抜の埼玉・熊谷や市長杯の開かれる三重・熊野、さらには修学旅行と合宿を兼ねたオーストラリアにもね。その追っかけレベルは世界的や。
いでたちは紺色の仰星のミニバックを肩に幼稚園がけ。日焼けした顔に乗る眼鏡は鉄、アルミ?とにかくハイカラやね。
基本いる場所は仰星のベンチ。スタンドちゃうで。選手席や。谷山はんは教員でも職員でもOBでも、ましてラグビー経験者でもない。すごいわな。
ほんでもアクの強さはない。
「わしみたいな人間がラグリパに載ってええんかいな?」
ええんです。このコーナーの責任者、ラグビー伝道師の村上はんも認めてまっせ。
一見、押しが強そうに見えるけど、実はめっちゃ気遣いができるんや。
谷山はんと仰星の出会いは2007年。仰星前監督の土井崇司はんがW杯観戦ツアーでフランスに渡った時、飛行機の席が隣り合わせになった。
「谷山さんは、台風で搭乗時間ぎりぎり現れた僕を『先生、こっちこっち』と導いてくれました。初対面なのにね。一人で参加していたおじいちゃんのお世話も一生懸命されていた。人当たりはいいし、心が優しい人やなあ、と思ったんです」
そっから関係はスタート。「旅は道連れ、世は情け」を地で行きましたな。
谷山はんは仰星に対して感謝、感謝や。
「あつかましく仲間に入れてもらって、一緒に行動させてもらってる。そら、むちゃくちゃ楽しい。おじんが高校生から元気をもらえるんやから」
毎年1月、首脳陣と3年生全員をなじみの大阪・生野にある高級焼肉店に招待する。飲み食いは自由。勘定は自分持ち。他の客のことを考えて、定休日の日曜に店を開けてもらうんや。
それって40、50万円かかる?
「かかるよ。だけど気持ちや。気持ち。こっちはそれだけのことをしてもらってる」
谷山はんはグルメや。大阪・本町の炉端焼き「ワコー」、西九条の居酒屋「大黒」、天満の立ち飲み「得一」なんかにおっさんも連れてってもらった。「えっへん」とお姉ちゃんにええ顔ができたんは谷山はんのお蔭や。まあ、そんでもわいはまだ独り身やがな(泣)。
谷山はんはぎりぎり戦争世代。宮崎の高校を出て、大手ゼネコンに就職して、大阪にやってきた。主に設計畑を歩み、1970年の大阪万博やUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)なんか作らはったんやで。
「500、いや1000くらい建物の設計には携わったかなあ。建築のいいとこは、自分の仕事がずーっと残っていく。見たら思い出す。それはうれしいことよ」
高校時代は軟式テニスの名手やった。国体やインターハイ出場経験もある。部室の隣がラグビー部。仲良しが何人かできた。その人たちが授業中にこっそり股の間にボールを挟んでつばで磨いとった。そっから興味を持った。今から50年以上前の話や。
今の若い衆は知らんやろけど、昔ボールは革製やった。ゴムちゃうで。ほんでなにもせんと練習で使っとったらオレンジが粉吹き芋状態の真っ白になるんや。せやからつばを「ペッペッ」とかけながら、お母ちゃんのお古のストッキングなんかで磨いたもんや。
谷山はんは高校時代からのラグビー好き。基本は仰星やが、そこばっかりでもない。今でも、関西の中学、高校、大学、社会人の試合予定を網羅したラグビー手帳を作り、グラウンド巡りをしてはるんやで。
監督の湯浅大智はんはほおを緩める。
「谷山さんの人生経験を話してもらえるのは、ウチのチームにとって大きい。何よりもいつもお元気で人として輝いていますからね」
土井はんは「仰星最大の応援団長」と言い、首脳陣の1人としても認めてはる。
「試合中なんかでも、ふと谷山さんを見ると、控えの選手なんかの表情を観察している。その意見はとても参考になります」
27日から始まる全国大会でも、チーム宿舎に泊まり込み、同じ釜の飯を食って、帯同する。東福岡に次ぐ史上2校目の3冠をサポートしまっせ。
「今の3年生は体も小さいし入学当時は、どうなるんかな、と思われた学年。だけど、みんなで考えてディフェンス主体のいいチームを作り上げた。優勝を狙ってほしいね」
谷山はんの思いを受けて、仰星のみんな、がんばってやー。
(文:鎮 勝也)
【写真】 「仰星のおっかけ」こと谷山榮一さん(写真右)と東海大仰星・湯浅大智監督