コラム 2015.10.24

友との再会。 田村一博(ラグビーマガジン編集長)

友との再会。 田村一博(ラグビーマガジン編集長)

 今回で第83回と歴史のある独立展(毎年10月に国立新美術館で開かれる展覧会)に、ラグビーマンで画家の岡部文明さんが作品を出展し、多くの人に高い評価を受けた。期間中(10月14日〜26日)には多くのラグビー関係者も訪れ、作品を鑑賞したり、ラグビートークで楽しい時間を過ごした。

 岡部さんは福岡工業高校の2年生だった1965年の岐阜国体に出場し、スクラム練習時の事故で四肢に障害を負った。しかし、重ねたリハビリと、抱いた夢の力により、画家としての道を歩み始めた不屈の人だ。世界のあちこちでピエロと会った。無国籍、無人格の彼らの存在をフィルターにして、社会へのメッセージを絵で表現してきた。
 2011年、ニュージーランドでワールドカップが開催されたときにはウェリントン近郊のポリルアで個展を開いた。そのときはNZラグビー協会にて、付き合いの長いNZU(ニュージーランド大学クラブ選抜)関係者とのパーティーも開かれ、友情を確かめ合った。両国間の架け橋になっている。

 今回の独立展を訪れた中に、懐かしい顔があった。
 大怪我を負った2年後、岡部さんは大分県の別府でリハビリに励んでいた。そのとき、ちょうどNZUが来日する。ある日、チームの中の4人の選手たちが病床の少年を訪ねてくれた。それが岡部さんとラグビー王国の長い付き合いの始まり。そして、そのときのNZUでキャプテンを務めていたゲーリー・ハーマンソンさんが今回の個展に足を運んだのだ。岡部さんが怪我をした日(1965年10月23日)から50年が経った。そんな節目の年の再会だった。
 ハーマンソンさんは、岡部さんが入院していた別府の病院を訪れてはいない。キャプテンという立場から、お見舞いに向かう4人を選ぶ立場だった。
 しかし、病院訪問から戻ってきた4人から受けた報告に感銘を受けた。リポートには、こう書いてあった。
「私たちは気楽にお見舞いに出掛けたのだけど、重傷(頸椎骨折)の少年(当時18歳)の姿を見てショックを受けました。しかし彼は笑顔で私たちを受け入れてくれた。それを見てホッとしました」

 キャプテンは「いつか自分も彼(岡部)に会いたい」と思い続けていた。
 その思いが届いたのが、2011年の夏だった。のちにスポーツ心理学者となったハーマンソンさんは、シンポジウム参加のために来日。その際、駐日NZ大使館を通して岡部さんにコンタクトがあったのだ。互いに、40年以上思い続けたから念願の面会が実現する。以降、やりとりが始まった。
 今回、ハーマンソンさんが妻のスーさんらと日本を訪れたのはプライベートな旅行のためだった。国内のあちこちに足を運ぶ中で、大きな目的のひとつが岡部さんと会うことだった。夫婦ともに心理学者として活躍している。大怪我から50年、少年だったラグビーマンがどういう気持ちで、どう道を切り拓き、なぜ、いま絵を描いているのかを知ることは、心理学界の後進へ伝える話の参考にもなる。そして何より、2011年に岡部さんと会って、人としての魅力と生きる迫力を感じていたからだ。

 独立展を訪れる前には、福岡のアトリエにも足を運んでくれた。その際、岡部さんは自身の人生についてすべてを語り尽くした。
「僕はラグビーでこういった怪我をしたけれど、それによって人生が変わり、新しい自分の世界ができて、その結果、世界と触れ合えるようになった。ラクビーをやったからこうなったのも事実ですが、ラグビーをやっていなかったら、この素晴らしい人生はなかったと心底思っています」
 別府の病室で悶々としていた少年時代。NZUの選手が訪ねてきてくれたとき、自分をラグビーマンと認めてくれているからだと感激した。そして、自分はこれから先もラグビーマンとして生きていいんだと目の前がぱーっと明るくなった。前向きになれた。
「今回、いろんなことを話しました。負けるもんかと思って生きてきた50年。でも決してひとりでは生きられない。頑張っていたら、いろんな人か見ていてくれて、その人たちを巻き込んで楽しく生きていける。ゲーリーさん夫妻は、うんうんと頷きながら話を聞いてくださいました」

 今回のワールドカップでのジャパンの活躍を見て、岡部さんは選手たちの強い気持ちを感じた。
「俺たちは負けんぞ。そんな強い気持ちが感じられましたよね。立ち向かっていく気迫。誇り。ラグビーは、こんなにも人を強くするのかとあらためて思った。凄かったねぇ」
 4年前のワールドカップ時はラグビー王国へ向かい、40年以上の付き合いのあったNZUの旧友たちと久々に会えた。今回は大会最中の時期に友が日本に訪ねてきてくれた。4年後の2019年には日本でワールドカップが開催される。その時は、どんな絵が人生のキャンバスに描かれるのだろうか。
 開催地のひとつ、福岡に住んでいる。魂の画家の存在は、日本ラグビーが世界に発信できる『誇り』のひとつである。

【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。1989年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。

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