コラム 2015.09.11

兵庫の名門、県立兵庫高校

兵庫の名門、県立兵庫高校

 兵庫県立兵庫高校ラグビー部は今年、創部87年目を迎える。
 この春、初のOB監督が就任した。体育教員の百瀬達雄だ。京都教育大出身の41歳。現役時代はSHだった。
 百瀬は前任の兵庫工時代、全国準V3回の奈良・御所実に通い、監督の竹田寛行から看板のモールを含めさまざまな戦術を授けられた。しかし、その知識を振りかざさない。多感な時期の部員たちを思い遣る。
「彼らは後輩やしね。僕が彼らの立場やったらいきなり来たOBがズカズカ入ってきて、いろいろ言ってきたら嫌ですしね」

 今は、女子のマネジャー6人と選手2人を含む計34人(3年生=9、2年生=7、1年生=10)の部員に任せている。
 理由はある。伝統的進学校に顕著な自主性だ。校内に校則、制服はない。
「この子たちは見ても見なくても練習の質は変わりません。ウチは金髪でも茶髪でも構わない。自由です。校則は社会のルールです」。
 自由は、自己責任の上に成り立つ。ただし未成年。未熟な部分もある。その時は百瀬が手を差し伸べる。
「質問をしてきたら答えるようにしています」

 校庭は狭い。陸上トラックは200メートル。そこにラグビー、野球など6競技がひしめく。定時制があるため、完全下校は5時50分。グラウンド整備や着替えを入れれば5時30分には練習を終えなければならない。開始は授業終了後の4時過ぎ。平日の練習時間は90分ほど。不足を補うため毎朝30分をウエイトトレーニングに充てている。週1回、京都産業大や御所実を教えるトレーナーの野沢正臣に指導を仰ぐ。

 主将のFB柴野広平(3年)は幼稚園から中3まで北神戸ラグビースクールに通った。進学理由を説明する。
「ここなら勉強とラグビーが両方できます。それに神戸高校との定期戦にあこがれていました。周囲にめぐまれて毎日楽しいです」

 学校所在地は神戸市の西方、下町の長田区。前身の旧制神戸二中は1908年(明治41)の創立で、今年108年目を迎える。県立では県下最難関校の1つ。2015年の国立大学進学実績は京都9、大阪21、神戸38人。主なOBには、太平洋戦争の沖縄戦で県民の生命確保に尽力した最後の官選知事・島田叡(あきら)、東山魁夷(日本画家)、妹尾河童(エッセイスト)らがいる。

 ラグビー部創部は学校創立21年後の1929年(昭和4)。県下では神戸一中の流れをくむ、神戸に4年遅れるが2番目に古い。
 戦前も含め花園出場回数は報徳学園の41回に次ぐ13回だ。1947年、8校参加の第26回大会では決勝進出。福岡中(現福岡県立福岡)に0-6で敗れた。これは県勢最後の優勝戦出場記録である。直近の出場は1963年の42回大会。2回戦で大阪・興国商(現興国)に6-11で敗れた。
 主なOBは日本代表キャップ2を持つ鍋加弘之。戦前、明治大学のFLとして活躍した。日本ラグビー協会元会長で住友銀行(現三井住友)頭取だった磯田一郎も籍を置いた。

 神戸との定期戦は県下では有名である。全校応援があり、春は野球、秋は10月のラグビーがメインになる。1931年(昭和6)に始まった試合の通算成績は45勝37敗1分だ。定期戦は大阪の天王寺とも組まれている。
 公式戦ジャージーは淡い小豆色と白に近い灰色のボーダー。濃色の方は「カーキー色」と呼ばれる。百瀬は「男子校として創立された時の制服の色だった、と聞いています」。配色などは90年近く変わっていない。

 現役をサポートするのはOB会「武陽ラガークラブ」だ。「武陽」の名は学校南側を流れる湊川の河原に端を発する。約500人で構成される会は、百瀬らの希望を優先する。
 今年は練習前後の補食用の米を月30キロやトレーナー代の一部負担などをしてくれた。歯科医のOBがいるため、マウスピースは歯形を取って作った高級なものが無料で届く。柴野は笑顔を浮かべる。
「支えてもらえるのはすごく大きい。感謝しています」

 昨年の全国大会予選は3回戦で全国8強の報徳学園に0-70で完敗した。1月の新人戦は初戦で百瀬が率いた兵庫工に14-51。5月の県民大会は2勝後の決勝トーナメント1回戦で灘に12-41で敗れた。
 この秋、第95回全国大会県予選の初戦(2回戦)は全国大会2回出場の古豪・県立伊丹。柴野は「まずはベスト8を目指したい」と話す。希望通り勝ち上がれば、報徳学園と県内2強を構成する関西学院との対戦が濃厚だ。2勝をして全国レベルを体感したい。
 正門の南側にはこれまでラグビー部の歩みを示した石碑『武陽ラガーの塔』がある。
 そのモニュメントはすわなち、このクラブの100年を超える学校の中での存在感、そして期待度の高さを示している。

(文:鎮 勝也)
【写真】 兵庫県立兵庫高校ラグビー部の3年生たち

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