コラム 2015.07.14

実りの24年目に 三重県立朝明高校、斎藤久監督

実りの24年目に 三重県立朝明高校、斎藤久監督

 朝明(あさけ)に赴任して24年目を迎える。
 これまで3年連続5回、花園に出た。
 48歳の斎藤久は、ラグビー部のなかった三重の県立高校を監督として全国レベルに到達させた。
「あっと言う間に時間が過ぎてしまっててん。自分では実感あらへんよ」

 笑うと目じりが大きく下がり、威圧感はなくなる。黒目がち、褐色の肌、短く刈り込まれた黒髪はアイランダー系に映る。事実、1995年、県教育委員会の研修制度を利用して、1年間、ニュージーランド・ウエリントンに暮らした時にはサモア人に間違えられた。ラグビーと関わりが強い風貌である。

 斎藤は四日市西から大阪体育大に進学。キック力のあるFBとして大学4年時には関西代表(当時は日本代表の下)にも選ばれた。県教員採用試験には一発合格する。
 初任校は度会(わたらい)高。3年を過ごす。朝明には1992年4月に着任。愛好会を作り、翌年部に昇格させた。土地柄は私立の海星、三重に代表される野球が軸。さらに同市内には高校サッカーの名門、四日市中央工があり、ラグビーの認知度は低かった。

 その中で斎藤は普及、発展のためいろいろな手を打つ。強みの行動力をフルに生かす。師と仰ぐ記虎敏和はかつて言った。
「あんなすごい奴は見たことがない。思い立ったら行動している」
 当時、啓光学園(現常翔啓光学園)を率い、戦後では前人未到の全国大会4連覇を達成した指揮官は唯一無二の評価を下した。

●1996年 四日市ジュニアラグビークラブ(ラグビースクール)を立ち上げる。
●2001年 韓国からの留学生を受け入れる(現在は0人)。第1号は金哲元(近鉄ライナーズSH、日本代表キャップ2)だった。同年、民家に手を加えラグビー部寮を作る。
●2002年 ラグビー部後援会を結成。
●2003年 学校3、4階の空き教室を冷暖房完備、宿泊可能のセミナーハウスに改造。
●2004年 グラウンドに照明設備を設置。
●2005年 初の花園出場(県予選7連覇中の四日市農芸に18-13、第85回大会では1回戦で鹿児島実に33-19、2回戦では4強入りする東海大仰星に0-67で敗北)
●2007年 校内グラウンドの東側一角を総天然芝化。縦100メートル×横70メートルのフルサイズラグビー場ができあがる。
●2012年 女子ラグビー部創部。

 朝明の最大の魅力は公立高校ながら、正規の大きさの総天然芝グラウンドを持つことだ。西日本では東福岡、同志社香里、報徳学園などが人工芝グラウンドを持つが、天然芝はない。新人勧誘で全国を回る日本体育大の部長・米地徹は感心する。
「これだけのグラウンドはありません。青森の三本木農業で見たきりですかね」
 幼稚園や学校などの芝生化を進めるNPO法人「グリーングラス・みえ」の協力で完成した。斎藤は笑顔を浮かべる。
「水や肥料をまくのはオレがしてるよ」
 少しでも費用を抑えるため、トラクターに乗り、率先して汗を流している。

 天然芝の西隣には同じ大きさの白砂のグラウンドがある。芝の養生期間などはここを使う。客土工事は完了。サラサラで擦過傷はできにくい。その横は黒土の野球部グラウンド。だがここもポールを立ててラグビーグラウンド化できる。フルサイズが計3面ある。

 芝生を目当てにチームは来る。御所実のように東海地区では一大拠点になってきた。
 7月11、12日には京都のアラキスポーツがスポンサーについてくれ、隣接する鈴鹿市にチーム所在地があるトップリーグ、Honda HEATのラグビー教室や熊野、同志社、光泉、岡谷工、明和県央による4回目となるカップ戦(アラスポ杯)が行われた。

 斎藤はこれまでを振り返る。
「ここまで、できたのは人のつながりが大きいな。部員の勧誘とか、ありとあらゆるところで助けてもらってる。しんどい時もあったけど、学校や家族や友人が『チャレンジを諦めるな』と支えてくれた。それらの人たちの存在があったから頑張れたんやで」

 朝明はここ10年で花園の芝を5回踏む。県内最大のライバル、四日市農芸は監督・下村大介の名張西高への転勤もあり、力を落とした。この3年は県内で敵なし状態が続く。
 今年の目標は初となる全国3回戦進出。正月を聖地で迎えることだ。
 6月の第62回東海大会では、4県の1位校が参加するAブロックの初戦で愛知・春日丘に3-41で敗れたが、3位決定戦では静岡聖光学院に28-21で競り勝った。
 チームの特徴はFWとBKのバランスのよさだ。従来のスクラム、モールに加え、両WTBの大野友嵩、池田友洋に決定力がある。
「レギュラーに2年が7人いるので、まだ経験値が足りてへんな。でも秋までこってり練習を積んだら面白いチームになるよ」
 ラグビー不毛の地に赴任してほぼ四半世紀が経過した。今では校名を「ちょうめい」と呼ばれなくなった。情熱は確実に実を結んでいる。あとは勝利を手に入れたい。

(文:鎮 勝也)

【写真】 三重県立朝明高校監督となって24年目を迎える斎藤久先生

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