vol.5 カトニ・オツコロ(クボタ)
「紹介してくれたエモシは1年上ですね。トンガの高校で一緒にプレーしていたことがあります。彼に会ったことのある人なら皆がそういうように、非常に優しい人です」
「トンガの南島、ファカカカイで生まれました。基本的にトンガのビーチはきれいです。子どもたちはラグビーが大好きで、いつもボールを追いかけていましたね。本格的にラグビーを始めたのはトゥポウ高から。チームにはエモシやNECのマナセ(フォラウ愛世)がいました。日本に来たのは高校2年になる時。埼工大深谷では1年生からでした。埼工大のノフォムリさんから、スカラシップとして日本で勉強しながらラグビーをしないかというオファーをもらいました。ラグビーが好きだったので、違った環境でやるチャンスは滅多にない。文化や食事は違いましたが、挑戦したい気持ちの方が強かったですね」
「埼工大深谷に入った1年目、2年生にマナセ、コリー(ホラニ龍コリニアシ)がいて、花園の決勝まで行きました。2年の時もベスト4、注目される大会で楽しみばかりでした。印象的なのは大阪のチーム。低いタックルで突き刺さられましたが、ああいうタックル自体経験したことのないもので、びっくりしました。足首を狙うなんて、日本しかないんじゃないでしょうか。ヤバかった(笑)。高校日本代表は素直にうれしかった。国の代表に選ばれるのはラグビー選手にとって大きな名誉。ただ、遠征先がトンガでしたが、体調不良で試合に出場できなかった。それだけは心残りでした。せっかく代表になり、両親も喜んでくれて、練習、試合に来てくれたのに、出場できなかったのは後悔があります」
「進学した埼工大は2部(関東大学リーグ戦)でしたが、それが現実であり、しょうがないこと。ラグビーは一生懸命取り組んでいました。4年間、楽しいラグビーをやっていけばいいと思っていました。それでも、7人制代表でワールドカップに行けたり、U21などにも呼んでもらった。それは非常に大きな経験でした。セブンズは体力的に辛いゲームですが、大会自体は非常に楽しい。今はもういいですが」
「いろんなカテゴリーで継続的に呼んでいただいたので、2005年、日本代表に選ばれた時は、少しでも恩返しもしたいと思っていました。テストマッチの前はワクワクしましたし、前日の夜は寝られなかったほど。当時は、元木(由記雄)さん、箕内(拓郎)さん、大畑(大介)さん、今も現役の大野(均)さん、伊藤剛臣さんと、すごいメンバー。彼らが引っ張ってくれて、ついて行くだけでした。大野さんはトップリーグでも対戦するチャンスはありますが、常に激しい。いい経験をさせてもらったし、いろんな人とも知り合った。ここまでラグビーを続けられるのもジャパンのおかげです」
「クボタはトンガの人たちがいろいろ所属しているチームで、学生時代からいいなと思っていました。ちょうど、現ヘッドコーチのトウタイ・ケフが現役でいて憧れもありました。もちろん、彼はトンガにいた頃からスターで、ワラビーズ、レッズでの活躍をテレビで見ていました。一緒にグラウンドに立てるのかなと思い、ワクワクしていたほどです。
クボタではトップイーストに落ちた時期もありましたが、今はやろうとしていることが少しずつできてきている段階。勝たないといけない試合を落として残念な面もありますが、まだ足りないということです。同じCTBの(アイザイア・)トエアバは本当にトップレベルの選手なので、ポジション争いはありますが、自分のためになることの方が多い。いろいろ吸収したいですね」
「クボタに入って1年目が終わるころ、この国で生きて行こうと決めて帰化しました。両親も反対したかったかもしれませんが、自分のためになるなら一生懸命やりなさいと言ってくれた。今は日本人の女性と結婚して、4歳の男の子がいます。残念ながら、ラグビーには興味ないみたいです(笑)。日本はサッカー、野球などいろんな選択肢があるので、それは好きなものをやってほしいと思います。もう少し大きくなれば、ラグビーのことも分かってくれるかもしれません」
「私が紹介するのは、トゥポウ高、埼工大深谷での先輩、マナセ。頼れる兄貴みたいな感じの人で、ラグビー選手として一番すごかった。知っている人なら皆がそう言いますよ」
【Player Profile】
カトニ・オツコロ KATONI OTUKOLO
クボタスピアーズ所属(CTB)
身長187センチ、体重108キロ。1982年8月23日、トンガ生まれ。
埼工大深谷→埼工大。日本代表(キャップ3)、日本A、7人制日本代表、関東、U23、U21、高校日本代表
(トップ写真=日本代表デビューとなった2005年5月の香港戦/撮影:高見博樹)