勝ってもよかった。 藤島 大(スポーツライター)
勝ってもよかった。でも終了まで残り約2分、あと、たったの秒針2周、大奮闘の結晶である3点のリードは手からこぼれた。スクラムの処理の乱れを端緒にトライとGを許して15−19。トップイーストの横河武蔵野アトラスターズは、三菱重工相模原ダイナボアーズに惜しくも敗れた。10月25日、横浜ニッパツ三ツ沢競技場、公式記録に正確な数字の残る「942人」の観客は、どちらのファンであれ、最後まで奥歯に力が入り、まさに手に汗の気配をにじませた。
横河武蔵野には、いわゆる外国人選手は、元韓国代表ロック、高麗大学出身の延権祐しかいない。あとは日本育ちの者ばかりだ。かたや三菱重工相模原は、ワールドカップ優勝の一員、元オールブラックスのSO、スティーブン・ドナルドが攻守の指揮棒をふり、日本国籍取得者を含めて計5人の海外勢を並べた。リザーブ席には、あの世界の顔、元ウェールズ代表キャップ87のシェーン・ウィリアムズが、通常のレースでは車庫を出ない最速マシンのように腰掛けている。この事実だけでも横河の善戦は輪郭を太くする。
昨年度のリーグでの同じカードは0−40。本年1月26日のトップチャレンジシリーズでは10−63の大敗を喫した。それが、この午後、トップリーグ昇格へ向けて真摯に強化に励むダイナボアーズを向こうに真っ向勝負を仕掛けて、堂々の大接戦を演じた。
挑む側の生命線であるタックルの鋭さはついに衰えず、スクラムでも、高橋悠太、糠盛俊介、川嶋雄亮のフロントローが培った力を発揮、前半31分には、ゴールライン近くでめくり上げてPGにつなげた。とりわけ角度で抜きにかかるライン攻撃は光を放った。内から追い上げる防御にあおられず、狭い空間をミッドフィールドで縦に切り裂き、あるいは外へ外へ順番にパスを渡し、トップイースト愛好家にはおなじみ、決定力に富む大型WTB、笠原誠らのランで格上に脅威を与えた。
「ヨコガワが見事でした。そして我々は、私が加わってからの2シーズンでワーストの内容だった」
三菱重工相模原のスティーブン・ドナルドは、試合後、そう話した。この簡潔なコメントは「アップセット(番狂わせ)」の条件を言い尽くしている。すなわち戦力の薄い側の心技体の充実、そして戦力の厚い側の不調と若干の油断、それらの交錯する一瞬にのみ起こりうる。
横河は結果としてアップセットを逃がした。限りなく近づいた、とすら書きたくなるのは、試合展開のゆえである。前半を15−5の先行。しかし後半13分、三菱重工相模原がトライとGで3点差へと追い上げる。本来の力関係からして、ほどなく逆転の流れだ。ところが横河の意欲はそがれない。劣勢にも執拗なタックルでミスを誘発。あれよあれよと時間は過ぎる。38分についに引っくり返されるのだが、実は、その後、わずかなインジュアリータイムにあわや再逆転の攻撃を仕掛けている。挑戦者がリードするもついに力尽きる…という流れではなかった。それだけに惜しい。
日本ラグビーの現在進行形の頭脳である横井章さん(元日本代表主将)は、京都成章高校の花園初出場(2001年度)をかけた京都予選決勝の前に、部員にこうアドバイスした。
「お前らが勝っていいんやで」
全国制覇の経験のある伏見との試合では、最後の最後に「このまま勝っていいんやろか」という展開になる。遠慮は無用。「勝ってもいいんや」。その試合でも5点リードの残り6分間、伏見工業の波状にして怒涛のアタックが続いた。なかなか終了の笛が鳴らない。そこで選手は、伝説のジャパンのかつてのキャプテンの一言を思い出した。すると勝てた。
横河武蔵野アトラスターズ、勝ってもよかった。
【筆者プロフィール】
藤島 大(ふじしま・だい)
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。著書に『ラグビーの情景』(ベースボール・マガジン社)、『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)、『楕円の流儀 日本ラグビーの苦難』(論創社)、『知と熱 日本ラグビーの変革者・大西鉄之祐』(文藝春秋)、『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『ラグビー特別便 1986〜1996』(スキージャーナル)などがある。また、ラグビーマガジンや東京新聞(中日新聞)、週刊現代などでコラム連載中。J SPORTSのラグビー中継でコメンテーターも務める。