神戸出身の伊藤鐘史が奮闘 コベルコスティーラーズ連勝スタート
トップリーグ・ファーストステージ第2節は、関西エリアで3試合が行われた。関西チーム同士の対戦は、神戸総合運動公園で行われた「阪神ダービー」、神戸製鋼コベルコスティーラーズ×近鉄ライナーズ戦である。
この日は、地元・兵庫県ゆかりの選手、関係者が大活躍。まずは、9月13日〜15日、茨城県水戸市で行われる「太陽生命カップ2014 第5回全国中学生大会」に出場するチームのお披露目があった。男子は伊丹ラグビースクール、女子は兵庫県女子中学生選抜がメインスタンド前で紹介され観客から激励の拍手を受ける。兵庫県立御影高校チアリーディング部のパフォーマンスのあとは、彼女たちが作った花道を両チームの選手が入場。キックオフセレモニーは、神戸市の玉田敏郎・副市長が務め、ハーフタイムショーは神戸市で結成されたヴォーカルグループ「パーマネントフィッシュ」によるライブが行われた。
阪神ダービーは前半なかばまでは拮抗したが、神戸製鋼がディフェンスで激しくプレッシャーをかけ、近鉄のミスを誘って優位に立った。なかでも近鉄を苦しめたのがラインアウトだった。近鉄ボールのラインアウトを奪い、圧力をかけてノットストレートを誘うなど、何度も近鉄のチャンスの芽を摘んだ。その中心にいたのが、神戸製鋼のラインアウトリーダー伊藤鐘史(33歳)だった。本来のキャプテンである橋本大輝の負傷欠場でゲームキャプテンを務め、ラインアウトでは相手の動きを観察し、アンドリース・ベッカー、谷口到といったジャンパーを近鉄のジャンパーの前で飛ばした。「勘で指示を出しました。全部はまりましたね」。自らもジャンプ一番、相手ボールを奪っている。
伊藤鐘史は神戸市出身である。実は、両チームのメンバーで兵庫県の高校を卒業しているのは、伊藤と近鉄のLO松岡勇(兵庫県立神戸甲北高校)だけだった。意外にも、伊藤は神戸製鋼唯一の神戸出身選手なのである。これについては本人も「もっと、(地元選手に)帰ってきてほしいのですけどね」と残念そう。兵庫工業高校から京都産業大学に進んだ伊藤は、2003年から2009年まで東京のリコーブラックラムズでプレーしたが、神戸に戻ってきた。「プロとしてさらに成長したい」という思いと同時に地元ラグビーを活性化したいという気持ちもあった。30歳を過ぎてから日本代表入りし、いまや日本代表FWの主要メンバーである。日本代表のエディー・ジョーンズ ヘッドコーチからの信頼も厚く、ラインアウトに重点を置く試合では伊藤を先発させるほとだ。
「僕が高校の頃は、ノエスタ(ノエビアスタジアム神戸)はなかったし、ここが一番のグラウンド。プレーしてみたかったですね。ノエスタもここも地元の人が応援に来てくれる。きょうも高校の友人が来てくれました。その後押しがあると地元でプレーできているという実感がありますね。きょうは、近鉄の応援団の声もよく聞こえましたけど(笑)」
連勝スタートの神戸製鋼は次節、福岡レベルファイブスタジアムで、コカ・コーラレッドスパークスとの対戦である。地元出身選手が神戸製鋼でプレーしてくれることを願いつつ、伊藤鐘史の奮闘は続く。
■愛知・豊田スタジアム
・豊田自動織機シャトルズ 31-14 宗像サニックスブルース(前半17-14)
・トヨタ自動車ヴェルブリッツ 10-13 サントリーサンゴリアス(前半10-6)
■兵庫・神戸総合運動公園ユニバー記念競技場
・神戸製鋼コベルコスティーラーズ 26-3 近鉄ライナーズ(前半13-3)
【筆者プロフィール】
村上晃一(むらかみ・こういち) ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。ラグビーマガジン、ナンバー(文藝春秋)などにラグビーについて寄稿。J SPORTSのラグビー解説も98年より継続中。99年、03年、07年、11年のワールドカップでは現地よりコメンテーターを務めた。著書に、「ラグビー愛好日記トークライブ集」(ベースボール・マガジン社)3巻、「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)などがある。BS朝日ラグビーウィークリーにもコメンテーターとして出演中。
(写真下:御影高校チアリーディング部が作る花道を通って試合に臨む選手たち)