コラム 2014.05.08

大人の言葉。みんなの空。  田村一博(ラグビーマガジン編集長)

大人の言葉。みんなの空。
 田村一博(ラグビーマガジン編集長)

 黄色いマウスピースを剥き出しにして泣きじゃくった。いつもふざけて練習し、へらへらしているのに。4年生として、3年生のチームにぼろ負けしたのが悔しかったらしい。
 ラグビースクールに通う娘が号泣した。つい数日前、こどもの日だった。
「今度からまじめに練習しような」
 それとも「また頑張ろうな」か。
 コーチはこんなとき、子どもたちにどう声をかければいいのだろう。
 取材の現場には長くいるけれど、何が正解なのか分からない。指導者の方々の重責を思うとき、尊敬と感謝の気持ちしか浮かばない。

 4月、長崎県は諫早を訪ねた。ラグビースクールがなくなって12年経った町で、ふたたび子どもたちが楕円球を追い始めたからだ。
 諫早ラグビークラブの設立記念式典で久米俊一代表は、「たとえ入会者がひとりでも、最後まで全員で指導する。そういう気持ちを(関係者)みんなと確認しました」という言葉に続けて思いを口にした。
「いたずらにチャンピオンシップを追うのではなく、子どもたちに、無我夢中のうちに涙があふれるような体験をさせてあげたい」
 諫早農業高校ラグビー部の監督時代には、教え子たちを何度も花園に導いた。久米先生は、必死で勝利を追っかけたことがあるから分かる。無我夢中にさせること、そうなることは、コーチとプレーヤーの到達点だ。
「私は最近、らん(の栽培に)に凝っていました。3年、4年待って、やっと花が咲くかどうか。指導は似たようなところがあります。待つ楽しみ。それをまた、子どもたちを相手に味わえることに感謝したいとです」

 同クラブの記念式典には、元日本代表の林敏之さんも参加していた。青空の下で開かれた講演会で、自身の若き日のことを話した。
 田舎の普通の高校から高校日本代表候補に選ばれたときの驚きと喜び。同候補合宿で控え組となったときの歯がゆさ。少年時代の心の動きは複雑だ。
「誰が選ばれるか、おおよそ決まっているような感じもありました。私はおそらく選ばれるであろう選手たちの攻撃練習の防御役でした。ホールドすることになっていたんです」
 ずーっと、心の中で叫び続けたそうだ。
「こっちも見てくれ。俺にもタックルさせてくれ、と。そうしたら、つい体が動いてしまい、激しくタックルしてしまった。いけないことですね。でも、それがきっかけで思いが届いた」
 強く思えば叶う。諦めれば、そこで終わる。
 林さんは、故郷・徳島に刻んだラグビーマンとしての第一歩、原風景も話した。
「40年前、中学時代に河川敷のグラウンドで走り始めたのが私の原点です。あのとき見上げた空は、秩父宮であり、国立競技場、トゥイッケナム、マレーフィールドにつながっていたんです」
 みんなの空も、どこまでも広がっている。
 そこにいる子どもたち。大人も。誰もが世界と渡り合ったリアルロックに、そう呼びかけられた気がした。

 大人の言葉を子どもたちはどう聞くのだろう。
 花園。そこは、それぞれの思いがよく伝わってくる場所。2年前の大会では、秋田中央高校、古谷和義監督の言葉が耳に残った。
 1回戦。第3グラウンド。長崎北陽台の先制パンチを受けた秋田中央は、後半に2トライを返すも敗退した(19-34)。しかし3年ぶりに聖地を訪れた3年生たちは、最後まで戦い抜いた。秋田県予選では決勝で秋田工に0-15とリードされるも、インジャリータイムに入ってから逆転したチームだった。

 粘り強い少年たちは、全国大会でも変わらなかった。5-27と離されてもチームは一丸となったまま。後半4分にトライを返す。勝負は決していたけれど、試合終了間際にはSO富樫玄主将が勝負に出て、自らインゴールに入った。県大会決勝の逆転劇でも決勝ゴールを呼ぶトライを奪った主将は、聖地でも全員の思いを受けて最後を締めくくった。
 夏には仲間を水難事故で失った。大きなショックを受けて体調を崩す者も続出。練習に出て来られなくなった部員も少なくなかった。そんな中でたどり着いた憧れの場では笑えなかったけれど、コーチ、関係者が泣きじゃくる選手たちにかけた言葉に1年間の充実が浮かんだ。
「県大会決勝での戦い。この1年。語り継がれるぞ」
「ありがとう」
「お前たちが花園に連れてきてくれたんだ」
 みんなが見守る中で、3年生たちが一人ひとり思いを口にした。
 感謝。必死にやってきたのに、それでも残る悔恨。充実。誰もが実直に、自分の言葉で思いを伝えていた。
 最後に、古谷監督が全員の目を見ながら言った。みんなの宝物になる言葉を。
「俺はお前たちのことが大好きだ」

 私自身、中学生のときに担任の先生に言われた言葉をいつまでも忘れない。
「お前は人に影響を与える。先生になれ」
 進んだ道は違うけれど、いつも支えになっている。

【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。89年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。

(写真撮影:松本かおり)

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