コラム 2013.08.30

生き方。  田村一博(ラグビーマガジン編集長)

生き方。
 田村一博(ラグビーマガジン編集長)

 あの夜以来なんだか照れくさい。ひっそりと見た夢。その中にいた人と会うと複雑だ。先日開催されたトップリーグのプレスカンファレンスの際、田沼広之さんを見て思い出した。



 一度だけ見た夢がある。その夜、ジャパンになった。取材で訪れたスタジアムで突然ロッカールームに呼ばれ、桜のジャージーに着替えた試合前。仲間と肩を組んだ。そこで目がさめた。
 そのとき隣にいたのがタヌーだった。日体大、リコーで活躍し、日本代表のLOとして躍動した。いまもスリムな体型を維持するナイスガイは、現在リコーブラックラムズのFWコーチを務める。熱い人で、いつも心にジャパンを持って生きている。取材を通して、そんな人柄にいつも触れていたからだろう。夢の中で夢が叶ったときも、その人はもの凄い熱を発していた。



 今年のアジア五カ国対抗、ディビジョン4に、ラオス代表として戦った日本人がいる。松元秀亮さんだ。現在発売中のラグビーマガジン、巻末インタビューにも登場いただいている。その国のラグビーを背負ってプレーする者の気持ちは、日本でもラオスでも変わらない。大阪市立大学出身の真面目なFWはこれまで、カンボジア、ブルネイ、ウズベキスタン、パキスタンと戦ってきた。



 国際協力機構(JICA)のラオス駐在員となってから3年後の2009年。IRB資格クリア直後に同国代表に選ばれ、初めて出場したテストマッチが忘れられない。試合前、スタンドに向かって整列する。歌えもしない国歌なのに体が熱くなった。それまでも、大学の誇りや仲間との絆、個人のプライドを感じて戦ってきたつもりだったが、比べものにならない責任を感じてボールと相手を追った。
 やがて国歌も歌えるようになったマツァ(現地での愛称)の試合後の感覚は、勝利を手にしてどんなに嬉しかろうと、どの試合でも「まずは、ほっとする感じ」と言う。
「正直言って、レベルはそんなに高いラグビーではありません。でも、それでも重みとプレッシャーを感じる戦いだからだと思う」
 普段からは想像のつかないタックルを仲間が見舞う。走りまわる。ナショナルチームの一員になるということは、人生が変わるのと同じことだ。



 初めてテストマッチに出場した年の秋にふたたび日本勤務となった松元さんは、その後、代表に招集されるたびにラオスに飛び、戦っている。ご本人は「いやいや。ハハハ」と否定するけれど、ジャパンで言えば田中史朗、サッカーなら香川真司や本田圭佑のようなもの。自費渡航というところと、注目度こそ違えど、背負う者としての矜持は変わらない。



 松元さんがインターナショナルプレーヤーのマインドを持って生きていると強く伝わってきたのは、ラオス代表であることをほとんど誰にも言わないまま活動を続け、努力を重ねている理由を知ったときだ。
「他の代表、国の代表もたぶんみんなそうかもしれないなと思っています。自分からは言わないかな、と」
 175cm、76kg。得意なプレーはサポート。
 相手につかまって振り向けば、あなたは、きっといつもそこにいてくれる。実際にプレーを見なくてもわかります。



 いよいよ始まる2013-2014シーズンのトップリーグ。日本国内最高峰リーグでの活躍は、ジャパンへと直結する。人生を変えるステージへ進む人たちが、多く現れますように。


 


 



【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。89年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。

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