コラム 2013.04.25

もりくん。もりさん。  田村一博(ラグビーマガジン編集長)

もりくん。もりさん。
 田村一博(ラグビーマガジン編集長)

 ぐちゃぐちゃな顔。途切れ途切れの声で叫んだ。
「こいつらね…本当に関係ないんですよ。ラグビー…ラグビー。それだけっ…」
 言葉にならなかったからこそ、言いたいことが伝わった。スクラムハーフ、森重樹。ちょうど1か月前、結婚披露宴で泣いた泣いた。



 宴の途中、どかどかと大男たちが会場の前方に集まる。横河武蔵野アトラスターズ。東海大学。東福岡高校。かしいヤングラガーズ。自身が歩んできたクラブの仲間が、垣根なんてなしにゴチャゴチャになって、大勢の手で、森くんの小さな身体を宙に放り投げる。その直後の新郎の叫び。冒頭の言葉の真意は、こうだ。
「こいつら、みんな僕の仲間なんです。でも、みんなチームはバラバラで、知り合いでもないのに、ただラグビーでつながっているだけで全員一緒になって祝ってくれているんです」
 いいヤツらでしょ。ラグビーっていいでしょ。つまり、俺、シアワセです。そう言いたかった。



 父の重隆さんは、元日本代表CTBで主将も務めた。新日鐵釜石の7連覇を支え、いま福岡高校ラグビー部の指導にあたる。いつも陽気な人だ。どんな場だって明るくし、どんな話だって笑って話す。
 宴のフィナーレ。親族代表の挨拶でも軽妙に話し始めた。
 会場の入り口に置かれたウェルカムボードには、息子のプレー写真がラグビーマガジンの表紙のように加工されていた。そこに『エディー・ジョーンズの視線はいま、武蔵野へ向いている』と文字が入っていたことに触れ、父は、「エディーさんの視線は絶対に武蔵野には向いていません」、「いまここにいる人の中から2019年のW杯に出られる人は誰もおらんでしょう」と出席者を笑わせたあとで、言葉に詰まった。
 集まった息子のラグビー仲間に感謝の気持ちを伝え、それぞれのクラブの名を口にしている途中でこらえきれなくなった。
「つまり、息子の人生は…ラグビー…」
 言葉にならなかったから、言いたいことがよく伝わった。


 


 母の教えに忠実に守り続けた。こちらは、別の森さんの話だ。
「怪我をしたお子さんは、ちゃんと家まで送ってあげんといかんよ」
 森正和さんはそれを38年間貫いた。西南学院高校を長く支えてきた指導者が、この春、教員生活を終えた。



 森さんが保健体育の教員として同校に赴任、ラグビー部の監督に就くことが決まったとき、母は「大切なお子さんを預かっているのだから、もしラグビーで怪我をすることがあったら必ず病院へ連れていきなさい。そして家まで送らんといかん」と息子に言った。「もう大丈夫だろう」の自己判断はダメよ。安心してもらうことで、また預けてもらえる。そんな信頼関係がチームを強くするより大事と伝えたかった。
「車の免許を持っとらんけん、病院に連れて行ったあとは、いつも一緒に電車に乗って送っていったり、タクシーで帰りました」
 怪我のあとは心細い。それを少しでも和らげてあげたかった。教え子たちを愛し続けた日々だったから、誰からも愛されたまま部を去る。



 森さんは最後の2年は部長を務め、若い藤内至広先生に監督の座を譲った。
「高校時代から知っている男です。彼がやってくれるなら大丈夫、と思いました」
 東筑高校で9番を背負い、花園の芝も踏んだことのある藤内先生。当時の姿をライバル校の監督として見つめ、「よか男」と知っていた。
「彼が高校3年生の時の花園予選決勝、東福岡戦は県内の誰もが知る大一番でした(1999年度)。あの試合での振る舞い、決断は素晴らしかった」
 試合終了間際、2点負けていた東筑高校は相手のペナルティでチャンスを得た。ゴールポストまで40メートルはあった。その試合、一度もPGを狙っていなかったが、キャプテンはキッカーに命運を託す。
 放物線はHポールに吸い込まれた。東筑高校が逆転で2年連続の花園を決めた。その翌年から、東福岡高校の黄金期が始まった。歴史に刻まれる一戦だった。
「後日、彼に聞きました。あのときPGを選択した理由を。そうしたら、『レフリーが試合終了に合わせていたと思われる時計のアラーム音が、その少し前に聞こえたんです』と。あの熱戦の中で、そんな冷静な判断ができる。任せて大丈夫。そう思いました」
 バトンを渡して以来、指導にまったく口を挟まなかった。監督にスクラムの指導を頼まれるとき以外は、いつも新監督を前に出した。任せきることこそ信頼だ。そして愛情。



 いつも子どもたちに言ってきたことがある。
「ラグビーは生半可じゃできんとぞ、と。だからラグビーをしきる男として、誇りと自信を持てと言ってきました。きついことから逃げたらつまらん。3年間やり通したら、絶対に人生のバックボーンになる」
 一度言って終わりじゃない。情熱を持って、くり返しくり返し伝えてあげる。
「情熱。それを失ったら監督じゃなかよ」
 後進に伝えた、数少ない教えのひとつである。


(文・田村一博)


 



【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。89年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。


 


 


(写真:福岡ヤフオク!ドーム近くの西南学院高校のグラウンド/撮影:BBM)

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