ラグビーを伝える上での「異常」と「普通」 向 風見也(ラグビーライター)
31歳になったばかりの一介のラグビーライターが考慮すべきは、「異常」と「普通」のバランスか。もっともこんなことは、何かを作って第三者に提供する人なら一様に考えているだろう。というわけで本コラムには、当たり前のことが当たり前かつ大雑把に記されている。
「つるつる言葉は使わない」
2010年に亡くなった作家の井上ひさしさんは生前、自戒を込めてこう言っていた。
若くて恰幅のよいフォワードへの「将来が楽しみな巨漢」、または変わった動きをするバックスへの「独特のステップの持ち主」。これらの記述は、誤りではなくとも個別の選手を表す表現では決してない。いわば誰に対しても当てはまってしまう言い回しなのだ。井上さんの哲学をラグビーの原稿に置き換えれば、そんなものには頼るべからず、となる。
「巨漢って言葉、好きじゃないんですよねぇ。何か動きが鈍そうで」
以前、重さと器用さを兼備した現役日本代表プロップが漏らした実感である。その人は決して上背があるわけではなく、なるほど並外れて大きいという意の巨漢ではなさそうだった。無自覚に「つるつる」へ寄りかかると、「現場や取材対象者の様子をダイレクトに伝える」という本来の職務から外れる。そういう危機感というか緊張感は、抱かないよりは抱いておいた方がよさそうだ(相手の要望に逐一応じる、というのとは話は別)。取材許可を得て、ミックスゾーンや練習場や喫茶店などで他の誰でもない個別のアスリートの話を聞ける。加えて、不特定多数の人々に情報を伝える場所で署名記事を書く。そんな立場にあって職務怠慢と言われたくなければ、何がしかの驚きを提供しうる「異常」な気質を持つべきなのである。きっと。
では、ただただオリジナリティを追求していればいいのだろうか。否。そこがスポーツライティングであり社会生活だ。本稿筆者も『ラグビーリパブリック』の総元締めに何度、言われたことか。
「頼む! 普通に書いて」
そう。誌上および画面上の文字をさらりとチェックされる忙しい読者には、かえって無機質な記事の方が良い場合もあるのだ。書き手が思い入れのある選手を「バロッグ調の重厚感あるドメスティックな破天荒ぶり」などと力いっぱいしたためたところで、何のことだかわからない。いっそのこと「普通」に「巨漢」とした方がすっきりするではないか。少なくとも、それなら読み手の約8割は違和感を覚えまい。
昨秋のヨーロッパ遠征。日本代表のスクラムはマイボール獲得率10パーセント台と押しに押された。この春から現体制の代表に入ったフッカー湯原祐希は、当時の現象を「自分だったら、速く、思いっきり低く当たる」と分析していたものだ。
しかし――。
「あまりにも低いと、(身体の大きな)相手に上から潰されちゃう。(遠征に参加した他の)選手たちからそう聞いている」
スクラムは極端に低く組むべしとの個人的なイメージは、皆のそれと少し食い違っている。だから、トレーニングを通じて仲間が納得できる低さを見出す。そんな意味合いの談話だった。ジャパンが低すぎずとも低いスクラムを苦労して作るなら、それを取材する筆者は「異常」であり「普通」な、それこそ独特なリポートを書かねばなるまい。4月20日、福岡はレベルファイブスタジアム。今年度最初の日本代表のゲームに立ち会う。
なお、スポーツライティングにおいて必要なバランス感覚は他にもある。収入と支出のバランス。あぁ。これについては、名コラム家が著した『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)の引用でしか見解を示せない。
「(前略)うまい言葉が見つからない。そういう時は黙る。(中略)沈黙に勝るコラムはない」
(文・向 風見也)
【筆者プロフィール】
向 風見也(むかい・ふみや)
ラグビーライター。1982年、富山県生まれ。楕円球と出会ったのは11歳の頃。都立狛江高校ラグビー部では主将を務めた。成城大学卒。編集プロダクション勤務を経て、2006年より独立。専門はラグビー・スポーツ・人間・平和。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)がある。技術指南書やスポーツゲーム攻略本の構成も手掛け、『ぐんぐんうまくなる! 7人制ラグビー』(岩渕健輔著、ベースボール・マガジン社)、『DVDでよくわかる ラグビー上達テクニック』(林雅人監修、実業之日本社)の構成も担当。『ラグビーマガジン』『Sportiva』などにも寄稿している。
(写真:日本代表の菅平合宿/BBM)