コラム 2012.09.13

気骨あるグルジア人  竹中 清(スポーツライター)

気骨あるグルジア人
 竹中 清(スポーツライター)

 もし無計画にグルジアへ独り旅をして、悪いタクシーの運転手に誘拐されそうになったら、手持ちの金を全部渡す前に、こういうと助かるかもしれない。「グルジア人は誠実で、正義感があって、誇り高き国民だと聞いたよ」。すると運転手は、じゃあガソリン代だけくれよ、と少し己を恥じて、セキュリティーがしっかりした快適な宿へあなたを送り届けてくれるだろう。
 以上、軽く聞き流してほしい、ラッキーな体験談。



 2003年2月、グルジアの首都トビリシは、かなり貧しいように見えた。都心の道路にはいくつも穴があき、高級ホテルの水道からはいつまでも鉄さびが出て、グルジア・ラグビー協会は電気がほとんどついていない、薄汚れた古いビルのなかにあった。



 ワールドカップ初出場を決めた国の素顔を知りたくて、非礼ながらアポなしで訪問した。にもかかわらず入室が許可され、狭いオフィスに入ると、ビジナ・ゲギッゼ会長(当時)が壁に貼ってある地図をじっと眺めていた。すぐにワールドカップ出場のお祝いを伝えると、「ロシアとの試合、見てくれましたか?」と彼はいった。2002年10月13日、グルジアが歴史を作った試合のことだ。「ナショナル・スタジアムは満員でした。因縁の相手ですからね、会場に警察官が3500人。我々とロシアの試合には、約6万人のファンが集まることも珍しい話ではないんですよ」。



 旧ソ連の構成国で、北にロシア、南はトルコとアルメニアにアゼルバイジャン、西を黒海に面したグルジアは、日本の四国ほどの国土と、人口450万人足らずの小さな国だ。
 ロシアとは長い間対立関係にあり、南オセチア紛争で現在も断交が続いている。2003年当時はそれほどの緊張ムードは感じられなかったものの、「ロシアに負けるなんてことは考えられません。グルジア人にとっては、ワールドカップに出場することよりロシアに勝つことの方が大事なんです」と、2つの目標を同時に果たしたゲギッゼ会長は笑った。
 そして意外にも、ロシア・ラグビー界の将来を心配していた。


 


 実はグルジアとの欧州予選に敗退後、ロシアは代表資格のない南アフリカ人選手を起用していたことが発覚し、IRB(国際ラグビーボード)から失格処分を受けてしまう。最後の望みをかけて出場する予定だった敗者復活戦にも残ることを許されず、2003年ワールドカップの夢は消滅した。
「最初にクレームをつけたのは私たちでした。でも、そのときIRBは『何も問題はない』というから正々堂々と戦ったんです。それがあとになってゴチャゴチャと…。ロシアは素晴らしいチームでした。南アフリカからコーチやスポンサーを獲得して、選手全員がワールドカップ出場に燃えていた。彼らが必死だったことは、我々が一番よく知っている」
 ゲギッゼ会長は、新しい勢力が台頭しなければラグビーというスポーツは発展しない、と考えていた。いつかラグビー勢力地図を塗りかえてやる。その新興勢力の先頭に立つのは、熱いラグビーを繰り返してきたグルジアとロシアでありたい、といった。
「グルジアやロシアが世界に出ることで、それぞれの国民は更なる上のラグビーを見て刺激される。そして、アゼルバイジャンやウクライナなどの近隣諸国も我々を目標にして、少しずつラグビー熱は高まっていくと思うんです。だから、ラグビー界のためにもロシアには戦うチャンスを与えて欲しかった。彼らの闘志を見せてやりたかったですね。でもこうなったからには、まずはグルジアが世界相手に思い切り暴れてきますよ。そうすれば、負けん気の強いロシアのことだから、すぐに立ち直ってくるでしょう。ロシアに灯ったラグビーの火を消したくはありませんもの」



 その後の両国の活躍はご存じのとおりだ。グルジアは、ワールドカップ初出場大会こそ未勝利に終わったものの、2007年大会では強豪アイルランドを10−14と追いつめ、2011年大会ではアルゼンチンとスコットランドに食い下がった。そしてロシアも、昨年のNZ大会で悲願の初出場を遂げ、堂々と戦った。2013年にはモスクワで、7人制のラグビーワールドカップが開催される。



 2003年2月、当時のグルジア・ラグビー協会会長、ビジナ・ゲギッゼ氏がじっと見ていた地図のことを思い出した。
 あのとき、彼はひとつの夢を教えてくれた。
「ロシアとの試合に6万人! でもね、この国にはラグビー専用スタジアムがまだないんですよ。代表戦を行うナショナル・スタジアムは、サッカーと兼用。この地図、何かわかりますか? ラグビー専用のスタジアムを建設できる場所を探しているんです。残念ながら我々ラグビー協会はお金を持っていないため、いつ夢が実現できるかわからないんですけど、計画は立てておこうと思って、壁に貼っているんです」
 2011年、『IRB ジュニア・ワールド・ラグビー・トロフィー』がグルジアで開催された。U20日本代表が『アヴチャラ・スタジアム』で決勝戦を戦った。ゲギッゼ会長の計画していたものと同じだったかどうかは定かではないが、それは収容約2000人の小さなラグビー専用スタジアムだった。2015年ワールドカップで世界のトップに立つと豪語したグルジアは、今後数年かけて、20いくつもの新しいラグビースタジアムを全国に建設するという。
 気骨がある。東欧にも、見習うべきラグビー人がいる。



 そんな男たちと、日本代表は今年11月に対戦する。パッションならば、エディー・ジャパンも負けてはいないはずだ。グルジア代表、愛称“レロス”の力強いセットプレーを骨にしみ込ませたあとは、芳醇なワインを飲みながら、ぜひ深い人間交流を。メンタル的にも、得るものは多いような気がする。



(文・写真/竹中 清)

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